本日は、長野県上田市、上田城本丸に鎮座する眞田神社へお参りします。
雪がうっすらと積もるなか朝一で行ってきました。(参拝日2020年2月18日) Tweet
眞田神社(長野県上田市)
神社情報
鎮座地:長野県上田市二の丸1-12 創建:1879年 ご祭神:歴代の上田城主 ご利益:勝負運、仕事運 |
1.ご由緒
上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していました。 松平家は、真田氏、仙石氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで七代百六十余年の長きにわたる上田城主でした。松平家は先祖を徳川将軍家と同じくする松平氏の一つで、藤井松平氏と呼ばれます。上田城主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号しました。寛文九年(1669年)に亡くなられた忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあります。その京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいました。この御社が当社の起源になります。 明治維新の変革の中、廃藩置県により上田藩も廃されます。国に接収された上田城も間もなく民間へ払い下げとなりました。そして城跡は、急速に桑園・麦畑などに姿を変えていったのです。そのような情勢に中で、旧上田藩士や旧領内有志より、旧藩主松平氏への報恩のため、初代忠山公、二代忠昭公、三代忠周公の御霊璽をあわせてお祀りする神社を、上田城跡に建立したいとの声が起こりました。この動きは、上田城に拠って二度にわたる徳川の大軍の攻撃を退けたという、真田氏の活躍などで名高い上田城跡を、史跡として後世にまで伝えたい、という願いがあってのことでもありました。そして、上田城本丸跡の所有者となっていた丸山平八郎氏の篤志により、その南半分の地が境内用地として寄附され、松平神社創立願が長野県より許可されたのは、明治十二年(1879年)のことでした。その後、本丸の残りの地も、やはり丸山平八郎氏から松平神社付属の公園用地として寄附され、上田の人々の憩いの場として本丸全域が整備されることになったのです。 真田氏は上田市の象徴でもある上田城を築き、その武略によって上田城の名を高からしめました。仙石氏はその後をうけて上田藩政を発展させるとともに、関ヶ原合戦後破却されていた上田城跡守護の神社として、また、新時代の神社として望ましいのではないか、という声が先の大戦後に起こりました。そして、昭和二十八年(1953年)に真田氏と仙石氏、そして松平氏の歴代全城主を合祀して、松平神社から上田神社と改称致しました。しかし、かつて市内にあった同名他社と紛らわしいこともあり、初代城主である真田氏の名を冠して、昭和三十八年に眞田神社と再度改称し今日に至っているものです。(頒布資料より) |
2.眞田神社の境内
3.上田城御城印
4.上田城
5.上田駅
6.参拝後の感想
以前から参拝したかった眞田神社に来れたので、少し興奮気味でお詣りしました。歴代の上田城主をお祀りしており、過去には上田神社、松平神社と呼ばれ、現在は眞田神社となっております。真田と聞くと真田幸村に付き従った真田十勇士を思い浮かべてしまう私ですが、猿飛佐助や霧隠才蔵などの十勇士は創作(何人かは実在の人物をベースにしている)とは知りませんでした。時間があれば資料館等行きたかったのですが、次回上田に来た際に寄ることにします。
7.地図・アクセス
アクセス:JR北陸新幹線上田駅から徒歩12分
駐車場:上田城跡公園駐車場が基本無料(イベント開催時は駐車禁止)