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きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って雷神社へ

本日二社目は、横須賀市の雷神社へお参りします。ご祭神は火雷命で、人の生業にかかわる禍から人々を守って戴けるありがたい神様です(参拝日2019年11月7日)

 

時間をかけて丁寧に書いて頂けました。龍が現れ雷鳴が轟く迫力ある御朱印です。

雷神社(神奈川県横須賀市追浜)


横須賀市追浜に鎮座しております雷神社へお参りします。

神社情報

鎮座地:神奈川県横須賀市追浜本町1-9

創建:承平元年(931年)と伝えられている

ご祭神:火雷命(ほのいかづちのみこと)

ご利益:災難除け、雨乞い、身代わり守護、交通災害除け、厄除け開運等


1.ご由緒

創立の詳細は定かではありませんが、朱雀天皇の御宇承平元年(931年)の勧請と伝えられ、鹽濱(しおはま)に鎮座していました。
永禄二年(1559年)築島に落雷があり、その場にお籠りをしていた十二名の乙女たちは柏槇(びゃくしん)の大木が身代わりとなって一命を取り留めると云う言い伝えがあります。江戸時代は奥の院と呼ばれ、昭和三十五年頃までは元宮の社殿が建っていました。現在は御神木のみが祀られています。
天正九年(1581年)時の領主朝倉能登守が御朱印を賜り現在の地(追浜本町一丁目)に遷座し、宝永四年(1707年)九月九日酒井雅楽守が武運長久・郷内災難除けを祈願して社殿の再建を行っています。また、寛政十一年(1799年)七月十六と二十二日に郷村挙げて雨乞いの祈祷が行われ、御神威が得られたと記録にあります。

2.雷神社の境内

神明鳥居
手水舎
鳥居後ろにある銀杏の木が立派です。色づく季節にはガラッと印象も変わるみたいです。
雷神社の読み方は、本来は「いかづちじんじゃ」と発音されるのが御祭神に相応しい発音ですが、地元の氏子崇敬者の方々は「いかづち」と言わずに「かみなりじんじゃ」と親しみをもって呼ばれます。また、振り仮名など読み方を指定された資料もないままに、いつの頃からk「かみなりじんじゃ」と申し上げるようにもなっています。
大銀杏 樹齢約500年、幹の周り4.2m 境内には大銀杏が三本あり、平成七年には三浦半島古木銘木五十選に指定してます。垂れ下がる乳頭は安産や子育ての信仰対象ともなっています。
右側の狛犬の鼻が割れてるような感じでした
現在の社殿は、昭和三十三年(1958年)三月浄財募金によって竣工いたしました。
鉄筋コンクリート製の社殿です。
古くは「雷電社」「雷電大明神」と記録にみられ、「雷神宮」の扁額が社殿内に掲げられていたと伝わっています。
拝殿左側に稲荷社があります。
こちらの慰霊碑は飛行艇隊戦没者の英霊をお祀りしています。
摂社 浜空神社・・・昭和十一年十一月富岡(現富岡公園内)に横浜航空隊が開設され、飛行艦隊の守護神として昭和十三年「鳥船神社」が創建されました。戦後に至り、その功績と戦没者の慰霊の誠を捧げむと、昭和五十六年六月「鳥船神社」跡地に「浜空神社」として新たに戦没者並びに戦後物故者二千有余柱の英霊をお祀りされました。殊に、昭和十七年八月ソロモン海戦最前線のツラギに進攻せし三百三十八名の飛行艦隊員は、壮絶なる玉砕を遂げるにあたり、ここに合わせて御魂が合祀されております。戦後六十三年の歳を重ねるに、世話人の高齢化により維持困難ということとなり、追浜航空隊甲飛会のご尽力により平成二牛年六月ご社殿を此の地に遷座し、追浜航空隊戦没者並びに物故者の英霊ともども永遠にお祀りいたす事となりました。
境内は落ち着きがあり何だかほっとする空間に感じました。
授与所です。御朱印代300円

3.参拝後の感想

最初神社に着いた時は、誰もいなくて授与所の中にもいない様子でした、今日は御朱印頂けないかなと思いつつ、参拝をして階段を降りて授与所へ、すると授与所から神職の方が出てこられたので、すかさず御朱印お願い致します。時間をかけて丁寧に書いて頂き素敵な御朱印を有難うございます。神社名がスタンプの時もあると情報がありましたが、手書きで良かったです。瀬戸神社からも近いので併せてお参りされてみてはいかがでしょうか。

4.地図・アクセス

アクセス:京急追浜駅下車、16号線を横浜方面徒歩約5分

駐車場:境内に駐車場がありますが、私が参拝したときは入り口が閉まっていたので参拝の際は要確認お願いします。

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って瀬戸神社・琵琶嶋神社へ

本日は、横浜市金沢区の瀬戸神社・琵琶嶋神社へお参りします。こちらの神社は金沢八景駅からも近くひっきりなしに参拝される方がいます。金沢八景の風光を今に留める、源頼朝・政子ゆかりの神社です。(参拝日2019年11月7日) 

瀬戸神社の御朱印 三島大明神と書かれてます
琵琶嶋神社の御朱印 弁財天と書かれてます。同じ人が書かれたのに瀬戸神社とは対照的ですね~


瀬戸神社(神奈川県横浜市金沢区)


元来、この地は入海の瀬戸(狭い海峡)で干満時に急流となり、海上交通の難所であったため、5~6世紀の頃から海神を祀っていたようです。 この霊地に源頼朝が挙兵に際して戦勝を祈願して、伊豆三島明神を勧請したのが瀬戸神社の始まりです。

神社情報

鎮座地:神奈川県横浜市金沢区瀬戸18-14

創建:治承4年(1180年)

ご祭神:

大山祇命   ( おおやまつみのみこと )・・・主祭神
速須佐之男命   ( はやすさのおのみこと )・・・配祀神
菅原道真   ( すがわらみちざね )・・・配祀神
徳川家康   ( とくがわいえやす )・・・合祀神
伊邪那岐命   ( いざなぎのみこと )・・・合祀神
伊邪那美命   ( いざなみのみこと )・・・合祀神
速玉男命   ( はやたまおのみこと )・・・合祀神
天照皇大神   ( あまてらすすめおおみかみ )・・・合祀神
倉稲魂命   ( うかのみたまのみこと )・・・合祀神
菊理比売命   ( くくりひめのみこと )・・・合祀神
木花咲耶姫命   ( このはなさくやひめのみこと )・・・合祀神
味耜高彦根命   ( あじすきたかひこねのみこと )・・・合祀神
建御名方命   ( たけみなかたのみこと )・・・合祀神
猿田彦命   ( さるたひこのみこと )・・・合祀神
 

ご利益:交通安全・旅行安全・商売繁盛・災厄消除・病気平癒・学問・文芸他


1.ご由緒

大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入江でした。この入江と平潟湾とは、今日の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました。そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。古代の人は水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところであるとして、豊な幸をもたらしてくれる神々をここに祭りました。これが瀬戸神社の起源で、発掘された祭祀遺物などから古墳時代に遡るころと考えられます。 鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆三島明神(三島大社)の分霊をこの「せと」の聖地に祭り、篤く信仰しました。社殿の造営もおこなわれ、今日のような神社の景観ができ上がったのは概ねこの頃のことです。以後、金沢(六浦)の地は港町として発展し、鎌倉と関東一円を東京湾や利根川を水系利用して結ぶ水上物流n集散地となりましたから、執権北条氏、ことに金沢に居を構えた金沢北条氏、また関東管領足利氏や小田原北条氏の崇敬も篤いものがありました。ことに江戸時代には徳川家康は車両百石を寄進しています。そして武家のみならず、名勝金沢八景の中心の神社として江戸の町民にまで広く崇敬者はひろがり、文人墨客も多く当社を訪れました。

2.瀬戸神社の境内

琵琶嶋神社から見た瀬戸神社です
瀬戸神社は鎌倉時代から伝わる多くの文化財が保存されており、なかでも北条雅子が奉納したといわれている陵王・抜頭の二面の「舞楽面」は、国の重要文化財にも指定されています
鳥居すぐ横に大きなクスノキがあります
手水舎で身を清めます
目がぱっちりとしてますね
権現造りの社殿は、1800年に建立されたものです。
扁額の形がかっこいいです
本殿と拝殿の2棟を一体化し間に石の間という一段低い建物を設けた権現造りの社殿は寛政12(1800年)年の建立。
裏手は崖になっており、掘られた岩場にお稲荷様がいます
祖霊社 祭神は氏子・崇敬者の祖霊
右末社 祭神は大雷神、高龗神
左末社 祭神は石長比売命、木花咲耶比売命
青麻宮 祭神は大己貴命、少名彦命
境内に横たわる「蛇混柏」(じゃびゃくしん)は延宝八年(1680年)の大風で倒れて以来、今日まで朽ちずに残っています。新編鎌倉志・江戸名所図絵などにも「蛇混柏」と称した名木で、金沢八木の一つである。
おそるおそる中はどうなっているんだろうと覗いてみると、空洞ですが迫力ありました、花びらみたいな形で、よくこの形で朽ち果てないで残っているもんだと感心しました。
社務所は建て替え中で、写真は仮の社務所です。

3.琵琶嶋神社の境内

源頼朝公が当社参拝の折、この石に服を掛け海水で禊祓したので服石とも呼ぶ。福石の前で何かをひろうと福を授かるといわれてます。
琵琶嶋神社は金沢八景の一つである「瀬戸の秋月」の夜景を今に伝えるところで、島の形が琵琶ににていることから琵琶島と呼ばれています。
立ち姿の御神像と頼朝・政子が流人の身から征夷大将軍に立身出世したことに因み、立身出世弁財天と呼ばれます。
まっすぐのびた参道をゆっくり歩いていきます。
社前には小さな橋があり、海と松が情緒を醸し出してくれます。
すぐ側にはシーサイドラインが走っております
弁天島の琵琶嶋神社・・・祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)、通称弁天様とよばれ、音楽・技芸の神です。この社は源頼朝の夫人政子が、近江の竹生島弁財天を勧請したものです。
幅にして60mほどの小さい島ですが、なかなか見応えあります。
琵琶島には混柏(びゃくしん)の枯れた幹が多数残ってます

4.参拝後の感想

源頼朝が三島明神を勧請し、夫人政子は竹生島弁財天を勧請する、鎌倉時代の深い繋がりを感じることができる場所です。個人的に海沿いの神社が好きなので、こちらの瀬戸神社・琵琶嶋神社は潮風が香って清々しい気分にさせてくれて参拝出来て良かったです。琵琶嶋神社の光景は他ではなかなか見れないので、いつまでもこのままであって欲しいと願うばかりです。

5.地図・アクセス

アクセス:横浜横須賀道路朝比奈ICから約10分

     京浜急行電鉄・横浜シーサイドライン金沢八景駅から徒歩約5分

駐車場:あり(車で来られる方は都度確認願います)

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って曾屋神社へ

本日三社目は、秦野市の曾屋神社へお参りします。境内には名水が湧き出る井之明神水があるので行ってみたいと思います。(参拝日2019年10月28日) 

曾屋神社の御朱印 龍がとぐろを巻いているような御朱印です。井之明神はかつての神社名です。

曾屋神社(神川県秦野市曽屋)


曾屋神社は、かつて「井之大明神」「井之明神社」と称しました。名のとおり、「水」の神様をおまつりした。神社で古くは御神木であった杉の大木のもとにコンコンと水が湧き出していた。その豊かな湧水が、曾屋神社の起源であります。江戸時代、曾屋村で疫病が流行した。神託によると「神社の湧水を嫌い、氏子が井戸を掘ったことが井大明神の怒りにふれた」と、それ以来氏子は神社の湧水だけを使って生活するようになったそうだ。

神社情報

鎮座地:神奈川県秦野市曽屋1-6-10

創建:年代不詳

ご祭神:水波能売命(ミズハノメノミコト)・・・水を司る神様
    伊邪那美命(イザナミノミコト)・・・延命長寿・和合の神様
    誉田別命(ホンダワケノミコト)・・・文武の神様 国家鎮護
    事代主命(コトシロヌシノミコト)・・・豊漁、商工業繁栄
    加茂別雷命(カモワケイカツチノミコト)・・・開運・安全を導く神様
    菊理比売命(ククリヒメノミコト)・・・和解・物事の仲介の守護神

ご利益:安産、子授け、縁結び


1.ご由緒

凡そ1190余年前、天長年間の御鎮座とされていますが、古文書等が散逸し、詳しいことは明らかではありません。先人達が、湧き出でる水があって、そこに「水を司る神様」をおまつりしたので創始であると思われます。「新編相模風土記稿」に井之明神社として紹介され、「祭神詳らかならず、神体石二個を置き、例祭九月九日、天正十九年社領三石五斗の御朱印を賜る。老杉、円一丈二尺余を御神木とす。弊殿、拝殿、神楽殿、建てり。末社、稲荷、浅間、毘沙門、三峰」と記されている。享保八年(1723年)、井之大明神として正一位の神階を受けていいる。明治六年に至り、曾屋に鎮座する各神社を合祀し、地名を取って曾屋神社となった。鎮座地の高台は、昔から井戸がなく、氏子たちは境内湧水を「曾屋の水神様」と呼んで信仰し、大切にしてきた。こうした土地柄を反映し、明治時代初期、水神さまを水源にして横浜、函館に次ぎ、いち早く上水道化を図ったという歴史がある。

2.曾屋神社の境内

黒塗りの鳥居は珍しいですね。下から見るとアングル的に見事で一の鳥居の間から二の鳥居が見え、二の鳥居の間から拝殿が見えます。
社額も黒を基調にして鳥居と同調して、落ち着いた感じでいいですね。
境内は緑が多くて心休まります。
手水舎です、屋根が大きいですね。
左が子取り、右が玉取りの狛犬です。
曾屋神社では六柱のご祭神をお祀りしてます。
拝殿の扁額です。
こちらが本殿になります。現在の御本殿、弊殿、拝殿は昭和九年に再建されたものです。御本殿は、元禄五年の御造営なる、総欅の建物です。尚これらの御社殿、社務所の再建、用材は、昭和七年十一月十四日の大風雨により被害を受けた境内の樹齢数百年の杉や松を用い、氏子の協力のもとに行われたものです。
神楽殿
末社の井之宮正一位福徳稲荷大明神
境内にある護国神社の狛犬
護国神社
西南の役より大東亜戦争までの秦野出身の英霊を祀る。
立派な木ですが、台風で折れてしまったのでしょうか
井之明神水(いのみょうじんすい)
井之明神水・・・安政五年、今から150年ほど前、氏子の佐藤安五郎が巨費を投じ水源確保のため隧道を完成させ、水源水に成功した。このことにより 当時の中心市街地も益々発展を遂げていった。明治三年に至り、神社水源と乳牛水源をもとに「曾屋区水道」がひかれた。全国でも、横浜、函館に 次いで三番目の上水道となった。 この湧水は、昭和三十年代まで地域の皆さんに親しまれていましたが、諸般の事情によりその後、埋められることになりました。神社・神職・氏子の懸案であった 「湧水復活」が機を得て、平成十六年十二月に実現に至りました。かつての尊称「井之明神社」に因んで、「井之明神水」と名づけられました。 現在「お水取り」や「正月の若水汲み」、昨今の「名水ブーム」もあり、県外からも水を求めて多くの人達が参拝に訪れます。この歴史ある「御神水」に多くの皆さんに親しんで頂きたい。                               妹背石・・・真鶴町特産の小松石の水鉢です。石工の方の話によると、砕石の折、大きな石の塊の真ん中にうっすらとヒビが入っていたので、そこに矢(石を割る道具)を入れたところ、中ほどは凹凸にきれいに分かれていたそうです。この小松石は箱根火山の活動により形成されたもので、十有余万年を数えるものです。まさに、自然の生み出した奇石です。この珍しい雌雄一対の石を「妹背石(いもせいし)と名づけました。「妹背」とは「夫婦」「男女」のことで、縁結びや安産のご利益を求めて、多くの方が参拝されるようになりました。
写真は男石 元々女石と男石は一つの石でこんなにきれいに割れるとは、まさに奇石!
愛車も一緒に撮ってみました。
立派な授与所です。この日は誰もおらず、御朱印は道路を挟んだ社務所兼ご自宅で頂きました。

3.参拝後の感想

私がお参りした際は、境内には誰もおらず、帰り際にお水取りに来られる方がいました。
井之明神水は境内裏側にあるので(駐車場がある場所)、バイクを止めて真っ先にお水を頂きました、まろやかな感じで飲みやすかったです。あと黒の鳥居は初めて見るかもしれません、引き締まった印象でいつまでも記憶に残っております。あちこち神社巡りをしていると、あの神社はどういう特徴があったんだっけと思うときがあります、曾屋神社は「秦野」「井之明神水」「黒い鳥居」「妹背石」といったキーワードできっと思い出すでしょうね。

4.地図・アクセス

アクセス:小田急小田原線「秦野駅」北口下車、神奈川中央交通・二番線発バス     「宮前」下車、徒歩すぐ

駐車場:境内裏側にあります。

天気いい日にバイクで走るのは最高ですね~♪
帰り道も景色がよく気持ちよかったです。

5.金目川

 

市境近くにある欠の上人道橋から見る金目川です。川の水もきれいで景色もよくいい所です。

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って出雲大社相模分祀・御嶽神社・八坂神社へ

本日二社目は、出雲大社相模分祀へお参りします。先日6年ぶりに注連縄を新調されたと聞いたので楽しみにしてました。隣接する御嶽神社、八坂神社にもお参りしました(参拝日2019年10月28日) 

 

出雲大社相模分祀の御朱印です。毎年7月にほおずき市朝顔市が開催されます、期間限定ほおずき御朱印は、通常は勾玉ですが、ほおずきの実にかわります。
御嶽神社の御朱印です。
八坂神社の御朱印です。御嶽神社・八坂神社の御朱印は出雲大社相模分祀で頂けます。


出雲大社相模分祀(神奈川県秦野市)


分祀とは本社から神様を分霊して祀っているところです。神様を分霊してもそのご利益は本社と何ら変わらないので安心です。

神社情報

鎮座地:神奈川県秦野市平沢1221

創建:明治二十一年(1888年)

ご祭神:大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
    事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
    合祀祭神28柱(兼務神社23社のご祭神)

ご利益:縁結び、商売繁盛、地鎮、農耕、子授け、教育学芸、厄除け、八方除け

 


1.ご由緒

島根県出雲大社より正式に御分霊を賜った出雲大社教の分祀、出雲大社の御祭神「大国主命」様をお祀りする。明治二十一年(1888年)に、出雲大社第八十代国造、千家尊福公に請願して、当地累代の神職であり報徳家であった草山貞胤翁が大国主大神の御神徳を関東地方に広める為この地に鎮祭申し上げた。そのほか近隣の秦野・伊勢原・平塚に鎮座する累代の神社二十三社二十八社の御祭神を合祀している。社殿は大社造りと権現造りを組み合わせた独自の様式で翼弊殿と呼ばれる長い弊殿が特徴的である。(境内案内板より)

2.出雲大社相模分祀の境内

どうしても本社と比べてしまいますが(お参りしたことはないですが)、相模分祀は本社を凝縮したといった印象で想像してたより立派な造りで驚きました。
青空に社額がよく映えます
手水舎で身を清めます
本社の出雲大社同様、参拝作法は二礼四拍手一礼、幸魂奇魂 守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまい さきはえたまえ)と祈りの言葉を三回唱えるみたいです
大社造りの荘厳な社殿は見応えあります。
写真の注連縄は6年ぶりに新調されたものです。この注連縄は、島根県飯石郡飯南町の「飯南町注連縄企業組合」に依頼して製作されました。重さは100kg以上あり、太さは45cmほどあるという。注連縄の材料とするために育てられた赤穂モチという稲を使い、2週間ほどかけて製作されたという。島根県から運ばれ、職人の手で神殿に設置されました。
歴代分祠長(宮司)の記念碑 
祖霊社
出雲大社の信徒の方々の祖霊(先祖の霊)をお祀りするために建立された神社です
ハート型のおみくじ掛けです、キュートですな。
天神社・・・神産巣日神(かみむすびのかみ)・少名毘古那神(すくなひこなのかみ)       筑紫社(つくしのやしろ)・・・ 多紀理比売命(たぎりひめのみこと)・田寸津比売命(たぎつひめのみこと)・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)                               祓社(はらえのやしろ)・・・瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)・速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)・気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)・速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)
「千年の杜」では慶長十四年より湧水する「ゆずりの水」が溢れ、夏には蛍の飛び交う幻想的な鎮守の杜である。
龍蛇神の社
七福神の大黒天です
写真の水源は全国名水百選にも選定され、名水百選選抜総選挙の「おいしさがすばらしい名水部門」で全国一位にもなったことがあります。地下51mより汲み上げ、長い時間かけて自然の力によってろ過されたミネラルの豊富なおいしい地下水です。一年を通じ同じ温度で保たれ、夏は冷たく冬は温かみのある湧水です。
「千年の杜」の守護神として、お祀りされる「龍蛇神様」は大地の神・水の神・金運・縁結びの御利益のあるダイコク様のお仕え神様。
ペットボトルを持参すればお水を頂けます。
千年の杜づくり十周年記念事業 千年の杜づくり十周年記念事業として、近代金物造形アート 三つ足鳥居「記憶としての構造」が設置されました。 この三本の柱は水・緑・人を表しています。多様な生物が等しく生きることの出来る世界となることを祈念致します。
いのししは鳥居の真下にいます。打ち出の小槌や美麗な御朱印帳が揃っております。
こちらの授与所で御朱印ならび各種受付しております。

3.御嶽神社の境内

 

 創立年歴は不詳であるが、建久三年(1192年)頃より神社前の参道を御嶽道と称し、平沢村の鎮守神として記録されている。 慶長13年(1602年)踊宮鈴張の地に将軍徳川家康公が鷹狩りに来た際に、当社に参拝、社殿の改修を命じ、翌年に極彩色の彫刻を備えた桧皮葺きの御本殿を改修した。昭和51年に本殿を覆う形で木造銅板葺の御社殿を修造し、現在の形となった。
御嶽神社の境内には秦野市文化財指定木である樹齢1000年あまりと500年あまりの御神木の大けやきが2本あります。 今は取り除かれたが、ケヤキの腰の位置には大きなコブが生えており日照りの際、御神木のコブを引っ張ると伊勢原の大山阿夫利神社より恵の雨が降るとの伝承がある。
御嶽(みたけ)神社、通称「お御嶽さん」と呼ばれてます。
御祭神として日本武命 ( やまとたけるのみこと ) ・大己貴命 ( おおなむちのみこと ) ・少彦名命 ( すくなひこなのみこと ) ・櫛真智命 ( くしまちのみこと )をお祀りする。
扁額の周りの龍の彫刻が立体的で見事でした。

4.八坂神社の境内

樹齢800年といわれる大ケヤキ 堂々と構えて存在感が溢れてます。
あまりにも見事な大ケヤキなのでもう一枚 まっすぐ伸びています。
八坂神社の創立年月日は不祥であるが、400年前より当地にありました。
御祭神として須佐之男命 ( すさのおのみこと ) ・大国主命 ( おおくにぬしのみこと )をお祀りする。
当社の社殿は昭和42年、御嶽神社新築の際、古い社を移築したもので、昭和60年、屋根は銅版葺きとした。疫病よけの御利益をもつとされる。

5.参拝後の感想

新調した注連縄はピッカピカでやはり直で見ると迫力ありますね。龍蛇神前のゆずりの水には、次から次へと水を汲みに来られる方がいました、私も頂きましたがまろやかな感じで美味しかったです、近くに住んでいたら毎日汲みに来てるだろうなぁと思いました。隣接する御嶽神社と八坂神社も立派で相模分祀より遥か昔から鎮座しており、この平沢の地をお守りしていたのだと思うと感慨深いですね。

6.地図・アクセス

アクセス:

バス:小田急線 秦野駅から土橋経由 渋沢駅北口行のバスに乗車。
   保健福祉センター前バス停下車、徒歩3分。
車:東名高速道路 秦野中井インターより10分。

駐車場:無料駐車場40台

駐車場も広々としてます。

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って白笹稲荷神社へ

本日は、関東三大稲荷の一社、白笹稲荷神社へお参りします。天気もよくバイクで走って気持ちの良い一日になりそうです。

狐が黄金色の稲穂をくわえて走る御朱印 秋を感じさせますね

白笹稲荷神社(神奈川県秦野市)


「秦野市今泉字芹沢小字一貫田」は、日量7千トンの豊かな水に恵まれた地です。神社の境内に自然の湧き水があることからも、鎮座地として優れた清々しい地であることがわかります。

神社情報

鎮座地:神奈川県秦野市今泉1089

創建:年代不詳

ご祭神:宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、大宮売命(おおみやめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)

ご利益:家内安全、商売繁盛、火盗消除、厄除、交通安全


1.ご由緒

創建当初は白篠稲荷と称する小祠であったといい、社伝によれば、その創始は古代大和朝廷の時代にまで遡るという。秦野は古代大和豪族秦氏にゆかりの地であるといい、「風土記逸文」によれば、稲荷信仰を広めたのも秦氏で、秦公(はたのきみ)が山城国に「伊奈利」を祭祀したことに始まるといわれる。鎮座地秦野市今泉は、日量七千トンのゆたかな水にめぐまれた土地で、周囲から出土する石器や土器から判断して、古代農耕民族が早くから住み着いていたことがわかる。当社は関東三大稲荷のひとつとして信仰され、「お稲荷さん」として親しまれ崇敬されている神社です。

2.白笹稲荷神社の境内

 

大きな鳥居が存在感あります 右奥側が駐車場です
栗原宣太郎氏の像 神社の振興に尽力された方です
一風変わった手水舎です、竹から落ちる水が趣ありますね
湧水を守るかのように狛犬がいました。
お稲荷さんとして親しまれている稲荷大神の御神名は宇迦御魂命と称し、稲作・農業の神様です。食物をつかさどる神様ということから、食べるもの、着るもの、住む家をはじめ、人間生活全般をお守りくださいます。
子守り母狐 お稲荷様と御縁の深いお狐さんのなかでも、子供を慈しみ育て日々お守りしている子守り母狐です。お子様の健やかな成長のご利益が授けられます。
二の鳥居から拝殿までは工事中でした
御神木の碑
椅子がある中央に切り株、テーブルにも見えました
拝殿階段を上がって中の天井絵を見ることが出来ます
扁額縁がエメラルドグリーンで際立っています。
拝殿中の様子です、白縁の扁額に白笹社と書かれてます 格天井150枚に龍神様や風水四神や宝尽くしを配した天井絵です
日本歌舞伎絵の第一人者、後藤芳世が7年の歳月をかけて描かれた龍神様の天井絵です、いや~迫力あります
南はだの村七福神めぐりの寿老人が祀られています
寿老人・・・長寿・財宝・名誉・病気平癒を授け、人々の安泰と健康を守護する神様です。
千本鳥居をくぐって階段をおりていきます
螺旋状になった鳥居が美しく印象的です
階段をおりたところに東末社があります。草木の精霊をお祀りしてます。
白笹稲荷神社 小さな狐様が数多く置かれてます
権兵衛稲荷 茨城県神栖市周辺において代々庄屋を務めていた安藤家の当主が権兵衛と名乗っていた事に由来している。従来の西末社を合祀し、権兵衛稲荷としたものである。
木漏れ日が心地よかったです。
社務所で御朱印頂けます。初穂料300円 書いて頂いてる間、東末社と権兵衛稲荷が階段おりたところにあるので、ご覧になってくださいと仰ってくださいましたので行ってきました。

3.参拝後の感想

関東三大稲荷の一社だけあり、鳥居、境内と大きく広くゆったりまわることが出来ました。神職の方は丁寧に対応してくださり、御朱印は秋らしく稲穂をくわえた狐が走り回っているのを思い浮べます。竹から滴り落ちる手水舎は、他にはないので新鮮でした、さすが名水の地、秦野です。秦野には魅力的な神社が数多くあるので、お気に入りの場所です。ヤビツ峠も好きですね。

4.地図・アクセス

アクセス:

● 東名高速 秦野・中井IC より 車で 5分
● 小田急線 秦野駅 南口 より 徒歩17分
● 小田急線 秦野駅 南口 より タクシーで5分

● 小田急線 秦野駅 北口 神奈川中央交通バス 5番のりば /渋沢北口/万年橋

秦15系統 秦野駅発 万年橋行 [経由]震生湖
秦15系統 万年橋発 秦野駅行 [経由]震生湖
秦18系統 渋沢駅北口発 秦野駅行 [経由]畑中/日立製作所
秦18系統 秦野駅発 渋沢駅北口行 [経由]畑中/日立製作所
  『白笹稲荷神社入口』 下車 徒歩5分

駐車場:神社前に大きい駐車場があります