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きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~日枝大神社へ

本日は、川崎市川崎区に鎮座してます日枝大神社へお参りします。こちらの神社はキティちゃんお守り発祥の地でもあります。(参拝日2019年10月20日) 

 

日枝大神社の御朱印です。初穂料300円

日枝大神社(神奈川県川崎市川崎区小田)


創建から今年で1071年を迎える日枝大神社です

神社情報

鎮座地:神奈川県川崎市川崎区小田2-14-7

創建:天暦二年(948年)

ご祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)・・・山の地主神であり、農耕(治水)  を司る神でもある                

ご利益:厄除け、方除け

社務所受付時間:9:00~16:00

 


1.ご由緒

日枝大神社は村上天皇の御世、天暦二年三月中日、比叡山坂本山王権現である日吉大社の御分霊を勧請したもので、山王権現と号し、比叡宮と称しました。
始めは、村(小田村)の西隅に社殿がありましたが、いつの頃からか村の中央現今の場所に遷座(せんざ)されました。旧跡地には、有名な銀杏の御神木があり、大正時代までは残っていたとの事ですが、今はありません。

江戸幕府の頃、御朱印地拾石(社寺に朱印状をもって下符した土地)があり、隣村下新田村(現在の浅田町)、菅沢村(現在の鶴見区菅沢町)等の総鎮守(氏神様)でした。

例大祭は四月の申の日、御輿渡御の際は村内旧家十二人がいずれも馬に乗り、警個供奉(警戒しお供をする)をして村内(三ヶ村)を巡幸(じゅんこう)しました。その行列は頗る古風を極めた物と言われます。

王政維新(明治)までは、真言宗円能院(向かいのお寺)が別当職としてお守りしていました。明治六年十二月に村社になり、社号も日枝大神社と改められ、例大祭も五月十五日と定められました。(神社HPより)

2.日枝大神社の境内

社名石・鳥居・松と絵になりますね
鳥居で一礼して拝殿へ向かいます 参道脇が芝生になって綺麗なのが印象的でした
現存するもので一番古いものはこの水石です。この水石は流石で、享保十九年(申寅)西暦一七三四年に氏子により奉納されたものです。今から280年程前のものと考えられています。
狛犬です
角度を変えて一枚 心和む雰囲気です
立派な社額です
末社として、八王子社、稲荷神社、浅間神社、神明社、大鷲神社が合祀されております。
力石は祭礼のときなど近在の若者が寄り集まって力比べをした石です。石を持ち上げ、さし上げるとそこに名前、重さ、年号を刻み改めて神社に奉納されたものと思われます。力石の中には元禄十五年の銘があり、これも川崎市で最古の力石となります。
道路沿いにも鳥居があります
神楽殿
この木から力強さというかパワーを感じました
きんもくせいの香りが境内に漂って心地良かったです
こちらの社務所で御朱印・お守り拝受出来ます
お守りの種類の多さに驚きました、サンリオキャラ勢揃いです。

3.授与品

御朱印帳(御朱印込)とシナモンロールとポムポムプリンのお守り拝受しました。御朱印帳はカバー付きで挟み紙がキティの透かしが入ってました。

4.参拝後の感想

キティちゃんお守り発祥の地とのことで、境内も華やかな様子だろうなと想像していたのですが、鳥居から拝殿まで正統な神社という印象できれいに管理されてました、授与所だけが華やかな感じでしたね。サンリオキャラのお守りの種類がすごく多いです、キティちゃんだけでも10種類以上あったと思います。家族がポムポムプリンとシナモンロールが好きなので拝受しました。中年の男がこの御朱印帳を使うのは少し恥ずかしい気もしますが、これを手にまた神社巡りをしていきます。

5.地図・アクセス

アクセス:JR南武支線「川崎新町駅」下車 徒歩約10分(尻手駅発は便数が30~40分に1本なので時間に気をつけて下さい)

駐車場:近くのパーキングをご利用下さい

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って村富神社へ

本日三社目の村富神社へお参りします。こちらの神社は、矢部新田村開村に先立ち創建されました。(参拝日2019年9月28日) 

 

村富神社の御朱印です。通常神職の方はいないので、御朱印は亀ヶ池八幡宮で頂けます。

村富神社(神奈川県相模原市中央区)


相模原市中央区矢部一丁目から四丁目までが旧矢部新田村で、現在は都市計画により近代的な市街地となっていますが、村富神社の広大な境内は昔のまま残り、貴重な緑のオアシスとなっています。

神社情報

鎮座地:神奈川県相模原市中央区矢部2-7-15

創建:延宝元年(1673年)

ご祭神:

    宇迦之御魂命   ( うかのみたまのみこと )
    大己貴命   ( おおなむちのみこと )
    大宮姫命   ( おおみやひめのみこと )
 

ご利益:五穀豊穣、商売繁盛、開拓

例大祭:8月第一日曜日


1.ご由緒

江戸時代前半期の延宝元年(1673年)、相模屋助右衛門が相模野に矢部新田田村一村を開墾するに先立ち、巨大な松の立つ場所を霊地に選び、新田開発の成就を祈願して稲荷社を創建したもの。193町歩の新田開発は苦心の末に成就し、「鎌倉街道見通しの松」と呼ばれた巨松を神木として、二千五百四十四坪という広大な境内をもつ矢部新田村総鎮守社となった。慶應三年(1867年)三月、神祇伯王家より村富稲荷社の神宣を受けて社号とし、さらに昭和二十七年に村富神社と改称して今日に至っている。

2.村富神社の境内

一の鳥居です 木々たちに囲まれながら参道を歩きます。
相模原指定保存樹木 大きな松ですね 「矢部原」といわれたこの原野は、甲斐から江戸に通ずる間道で、道のたもとに一円の密林があって、巨松が聳え、「鎌倉街道見透の松」といわれました。
こちらも保存樹木のケヤキです
二箇所手水舎がありますがどちらも水はなかったです。
上段が二の鳥居付近で下段が拝殿前の狐様です 以前は稲荷社なので狐ですね
二の鳥居を通り拝殿へ向かいます 社額は石で出来たような感じでした
朱色の拝殿です 引き締まった印象でした
社額 村富稲荷神社と書かれてます
祖神社 この社は当地開村の盟主相模屋助右衛門の御霊をお祀りしてます。前飾りの三ツ獅子頭(剣獅子・玉獅子・巻獅子 村富神社蔵)は十九世紀初頭の代表となるべきものといわれております。
大松と白蛇伝説の地 社の前に、今は枯れて根元が空洞になっている御神木の松の古木がある。幹の胴まわりは三・〇三メートルぐらいもある。この幹の周囲を息をせずに、左から七まわり巡ると、白蛇の姿が見えたとかいい伝えている。事実、雨降りあげ句などには、この幹を大蛇が巻いていたなどと古老はいっている。この大蛇にあげるために、空洞の中へ生卵などを供える人も以前はよくあったようである。この松は津久井から神奈川へ通う街道の見通しの松であった。
境内社 山の神と書かれてます
力くらべ石 昔はこの大きな石を持ち上げて力比べしたのでしょうか
本殿です。普通本殿はちらっとしか見えませんが、こちらはぐるっと一周出来るのでがっつり見れます。
右側が神輿及び獅子堂 左側が八坂社
社務所 今は無人です
授与所 以前は神職の方が在中されていたのでしょう

3.参拝後の感想

大松と白蛇伝説を読んでみると何だかゾクゾクしますね~個人的にこういう昔話大好きです。御朱印は近くの亀ヶ池八幡宮で頂けます。三千坪近い境内には、桜、楓、椿、松、銀杏、ツツジ、雑木からなる境内林は四季の花にめぐまれ、森林浴も楽しめ、相模原指定保存木も多く見られました。長い参道で両脇には桜の木が植えられ春に咲き誇った桜を見に再度お参りしたいですね。

4.地図・アクセス

アクセス:矢部駅南口から徒歩約8分

     相模原駅南口から徒歩約16分

     淵野辺駅南口から徒歩約19分

駐車場:駐輪場があるのでバイクは止めることが出来ます。車は確認してません。

 

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って亀ヶ池八幡宮へ

本日二社目は、亀ヶ池八幡宮へお参りしたいと思います。こちらの八幡様は見所が多くなかでもゴールド神社があるので楽しみにしてました。(参拝日2019年9月28日) 

 

右が通常の御朱印で左が境内社の招福稲荷神社の御朱印です。

亀ヶ池八幡宮(神奈川県相模原市中央区)


相模原市中央区に鎮座してます亀ヶ池八幡宮へお参りします。境内の池に以前多くの亀がいたため「亀ヶ池」と呼ばれ、社号の由来になった。

神社情報

鎮座地:神奈川県相模原市中央区上溝1678

創建:不詳 元弘元年(1331年)頃と思われる

ご祭神:誉田別命(応神天皇)

ご利益:夫婦和合、縁結び、長寿、子宝


1.ご由緒

創建年代は不明だが、鎌倉時代以降、八幡大菩薩として武門の崇敬を受け、また民間からは北相模の農耕開発の神様、守護神として信仰を集めてきた。言い伝えながら、八王子に本拠を置く横山氏の娘を妻とする鎌倉幕府侍所別当(長官)和田義盛は、横山城を訪ねる際、神前にて武運長久を祈ったという。その後、元弘(1331~1334)、文禄(1592~1596)、明暦(1655~1658)、延宝(1673~1681)、宝暦(1751~1764)の各年間に社殿の改修もしくは再建が行われ、その間の慶安二年(1649)には徳川第三代将軍家光が社領を寄進している。社殿には背面に暦応四年(1341)銘を持つ神像が安置されている。この神像は相模原市内では最古のもので、市指定重要文化財である。

2.亀ヶ池八幡宮の境内

 

鳥居越しに夫婦いちょうと拝殿が見えます 大鳥居の脇にはケヤキと楓が植えられてます
北相模総守護社 旧字体の龜ですね、難しい字で一回では覚えられないですね
立派な手水舎が造営中でした
夫婦いちょう前の狛犬
左の木が右側に寄り掛かる感じで、何とも魅力的な夫婦いちょうです
2本寄り添って注連縄で結ばれています
拝殿側から見た夫婦いちょうです いつまでもこの木のようにありたいものです
拝殿前の狛犬
檜造切妻屋根の御神門 その先には170坪の内庭で白御影石が敷き詰められています
拝殿の構えが重厚な造りで見応えあります
立派で豪華な扁額です
拝殿ひさし裏には亀の絵が書かれてました
境内社 右から三嶋神社、淡嶋神社、子安社 きれいに管理されてます
招福稲荷神社へと続きます
招福稲荷神社 ご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) ご利益は商売繁盛・五穀豊穣・家運隆昌
何だか愛嬌ある顔立ちの狐様です、一見犬にも見えました
社殿は平成28年相模原市有形文化財に指定されました
3月頃に咲き誇る時期に見てみたいものです
豊受社 ご祭神は豊受大御神 ご利益は五穀豊穣、生業繁昌、家業繁栄
神楽殿 北側と南側に植えられた花桃は、春先には紅白の花が咲いて神楽殿を彩ります
ゴールド神社 無事故・無違反のゴールド免許にあやかりこちらの神社を奉建したと書かれてます。 地域の消防団の消防車や、救急病院の救急車、幼稚園・保育園の園バスなどもお祓いをしています。
もちろん愛車のお祓いもこちらでして頂けます 
この日は七五三にお参りされてる方が多くおられました
境内外にある鎮護神 東の青龍、南の朱雀 
鎮護神 北の玄武、西の白虎

3.参拝後の感想

境内全体管理が行き届いていて非常に綺麗で清潔感のある印象です。個人的には夫婦いちょうが寄り添って仲睦まじい様子でとても惹かれました。ゴールド神社では一応今のところゴールド免許なのでこのままゴールドで無事故・無違反をお願いした次第です。御神門から拝殿までに敷き詰められた御影石は神々しく感じました、あと七福神詣りは残念ながら手水舎の工事のため拝見することは出来ませんでした、七福神なでなでしたかったなぁ~ 境内外の四神鎮護神は、正面に青龍と朱雀、左側に玄武と白虎が見ることが出来ます、白虎がなかなか見つけられず一周して二周目に玄武のすぐ横にあったのに気付きました。

4.地図・アクセス

アクセス:JR相模線「上溝駅」より徒歩15分 又は「相模大野駅」行きバス(大15系統)、「亀ヶ池八幡宮前」下車すぐ。

駐車場:大型駐車場があります。バイク・自転車専用駐輪場もあります。

バイク・自転車駐輪場です

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~バイクに乗って相模原氷川神社へ

どうも、MOMOCHIです。本日は、相模原の氷川神社へバイクでお参りしました。天気も良くなかなかのバイク日和です。(参拝日2019年9月28日) 

 

相模原氷川神社の御朱印です。左が9月限定のお月見で右が通常となります。
御朱印頂くとおさがり飴頂きました。


相模原氷川神社(神奈川県相模原市)


境内は落ち着いていて、ゆったりした空気が流れていました。七五三のお子さんもお詣りにこられてました。

神社情報

鎮座地:神奈川県相模原市中央区清新4-1-5

創建:天保十四年(1843年)

御祭神:素盞嗚尊(スサノヲノミコト)

ご利益:厄除け、除災招福、武運長久

御朱印受付時間:午前9時から午後4時まで


1.ご由緒

江戸時代末期の天保十四年(1843年)、小山村原清兵衛が、北相一円を併せて支配した伊豆韮山代官江川太郎左衛門英竜の許可を受け、相模野の開発に着手するに先立ち、武蔵国多摩郡上櫟田村の氷川神社を勧請し、現在地に祭ったのが始まり。このとき、清兵衛は「天保十四年六月九日」銘を持つ秋葉大権現、榛名大権現の石碑を奉納した。

今日の相模原市都心を形成する相模原、清新、小山、南橋本、氷川町一帯は、安政三年(1850年)にかけて開発された清兵衛新田に含まれ、かつては大河原組、矢懸組、原組、横山組、比丘口組の入植者が営農、祭神を治水の神様と崇めた。また新田開発後の安政三年七月から八月にかけて、代官江川太郎左衛門、手代津田橘六、恒川左内直親が検地を行い、「以後、清兵衛新田と称うべし」と沙汰し、氷川神社に津田、恒川両手代が灯籠をを奉納している。

2.氷川神社の境内

立派な石で氷川神社と書かれてます
風車の参道です。この辺りの地名・清新は清兵衛新田の略だそうです。
手水舎で身を清めてからお参りします。
拝殿が近づいてきました
お参りの前に狛犬を眺めます
拝殿で二礼二拍手一礼します。御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)・・・最高神の天照大御神の弟 神話で、我儘で姉の天照大御神を困らせたり、ヤマタノオロチを退治したり、クシナダヒメを嫁にもらい日本初の和歌を詠むといった様々な面を持つ神様です。
神社という場所は本当に落ち着きます、心を穏やかにしてくれます。
横書きの扁額ですね。なぜ横書きで右から左に読むのか気になって調べてみたんですが、「戦前の印刷物には横文字は右から左に読むものが多いです。横文字が右から左だったのは、縦書きの影響です。日本語の縦書きは、行は右から左に進みますから、額やのれん等の横長のスペースに書く時も、一行一文字の縦書きをする様に、かつては右から左へと書くのが一般的でした。ただし右横書き(右から左に書く横書き)とは、文字をあくまでも横長のスペースに収める都合上のもので、出版物の本文は大抵縦書きであり、まるごと右横書きで書かれることはありませんでした」へぇ~なるほど縦書きが右から左に書くものだから、それと同じ要領というわけですな。
青空に天高くのびる木が颯爽としていて気持ちがいいです。
福徳稲荷大神の鳥居です、七基連なってます。
毎回お稲荷様の連続する鳥居をくぐる時はわくわくするんですよね~
末社の福徳稲荷大神です
狛狐・・・正式には眷属(けんぞく)や白狐(びゃっこ)と言うそうです。
こちらの扁額も横書きでした
子育て地蔵
拝殿の奥に本殿があります
参道の風車がくるくる回って華やかで情緒がありました。
各種御札や御守り御朱印帳がならんでいます。

3.参拝後の感想

天気にも恵まれ大変気持ちのいい参拝になりました。お月見の御朱印がどうしても欲しくなり、調べたところかわいい御朱印が9月限定で頂けるということでお参りした次第です。来月以降の御朱印も気になるところです。写真はないですが境内には創建者清兵衛が奉納した天保十四年銘の石碑、安政三年銘の手水鉢、徳川第十五代将軍慶喜の揮毫による開発記念碑があります。また、子育て地蔵は弘化三年(1846年)南橋本に造立されていたものだそうで、その後、境内に移されました。

4.地図・アクセス

アクセス:JR横浜線 相模原駅徒歩10分、JR相模線 南橋本駅徒歩15分

駐車場:境内右側に駐車場があります

GSRはやはりこの角度が一番いいなぁ~(ヨシムラマフラーを見せたいだけ)

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~矢先稲荷神社へ

本日二社目は、合羽橋道具街からほど近い矢先稲荷神社へお参りします。こちらの神社は拝殿天井に神武天皇から現代に至る日本馬乗史の絵が100枚あるのが特徴です。(参拝日2019年9月11日)

矢先稲荷神社の御朱印です。初穂料500円 左下のスタンプは馬の象形文字でしょうか

矢先稲荷神社(東京都台東区松が谷)


東京都台東区に鎮座してます矢先稲荷神社へお参りします こちらの神社は浅草三十三間堂跡にあります

神社情報

鎮座地:東京都台東区松が谷2-14-1

創建:寛永十九年(1642年)

御祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、福禄寿

ご利益:五穀豊穣、長寿、商売繁昌、開運、諸願成就、縁結び

 


1.ご由緒

当社は寛永十九年(1642年)十一月二十三日に徳川三代将軍家光が、当地に浅草三十三間堂を建立した際、その堂の鎮守として稲荷神を祀ったのに始まると伝えられています。社伝によると、その神像は、上野東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正の寄進であるといわれております。浅草三十三間堂射術稽古場の的先に奉納されたために、その社名も矢先稲荷神社と称されました。

2.矢先稲荷神社の境内

この日は、9月に入ってもまだまだ暑い日でした。
鳥居の扁額が陶器で出来ているような感じで、周りが矢羽で囲まれています
御神木の大イチョウです、秋が待ち遠しいですね。
神楽殿に三十三間堂の地図が描かれています。
手押し式のポンプの井戸があります
手水舎で身を清めてからお参りします
何だか愛嬌のある狛犬です
こちらの神社の御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、スサノオとオムオオヒメとの間に生まれた神様、またはイザナキとイザナミの間に生まれた神様と言われ、名前にある「うか」は穀物、食べ物を表すことから穀物の神様とされ、いわゆる農耕神であります。
白を基調とした何とも爽やかな拝殿ですね
大きな鈴と金縁に青の扁額です
拝殿右側にある社務所で御朱印頂きます
お参り後、天井絵を拝観させて頂きました。
天井絵馬一覧です、なんとその数100枚です。海老根駿堂氏が五年の歳月をかけ描いて奉納したものです。
中央4枚、那須与一・源頼朝・佐々木高綱・新田義貞 どの絵も凛々しいです
中央上から、梶原景季・本間孫四郎・巴御前・畠山重忠・平貞盛・源頼光
上から2段目左から、加藤清正・織田信長・豊臣秀吉・武田信玄・上杉謙信 有名な武将が勢揃いです

3.参拝後の感想

御朱印は2種類あり矢先稲荷神社と福禄寿です。拝殿の中には浅草七福神の一つでもあり御祭神・福禄寿の木彫りが祀られていました(天井絵のみ撮影可なので写真は撮れません)、何とも穏やかな表情で白髭が印象に残っています。福禄寿とは、福(幸福)と禄(生活・経済の安定)と寿(健康にして長命)の 三つの福徳を授ける幸運、生活の安定、長寿の神様であります。日本馬乗史の天井絵と福禄寿は一見の価値ありです、お参りされた際はぜひご覧になってください。

4.地図・アクセス

アクセス:東京メトロ 銀座線 稲荷町駅・田原町駅より 徒歩7分             

     東京メトロ 日比谷線 入谷駅より 徒歩11分             

     各線 浅草駅より 徒歩10分             

駐車場:なし

5.合羽橋道具屋街&かっぱ河太郎

参拝後、合羽橋にふらりと寄ってみました。かっぱ橋の由来には二つの説があります。一つは今から160年ほど前の文化年間のころ、この一帯は、水はけの悪い土地でたびたび出水を起こしていた。そこで、合羽川太郎(合羽屋喜八)は、私財を投じて排水工事に着手したが、工事はことのほか難航した。昔、川太郎に助けられたことのある隅田川の河童たちは、これを見ていたく同情し工事を手伝ったおかげで、掘り割りは見事に完成した。この故事にちなんで「合羽橋」としたというものである。 もう一つの説は、今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで、「合羽橋」と呼ばれるようになったというものである。 う~ん、どちらの説も興味深いですね。

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~秋葉神社へ

本日は、東京台東区松が谷の秋葉神社へお参りします。こちらの神社は秋葉原駅名の由来となった神社であります。(参拝日2019年9月11日)

秋葉神社の御朱印です。初穂料300円 拝殿向かって左側にある社務所で頂けます。

秋葉神社(東京都台東区)


東京台東区に鎮座してます秋葉神社へお参りします。社号は当初鎮火神社でした。昭和五年(1930年)に秋葉神社と改称される。

神社情報

鎮座地:東京都台東区松が谷3-10-7

創建:明治三年(1870年)

御祭神:火産霊大神(ほむすびのおおかみ)・・・火の神

    水波能売神(みづはのめのかみ)・・・水の神

    埴山比売神(はにやまひめのかみ)・・・土の神

ご利益:火災鎮護、災難除け

例大祭:5月18日

鎮火祭・火渡神事:11月6日

社務所受付時間:9時~17時


1.ご由緒

明治初年東京府内に火災が頻発し市民の難渋せる状を御憂慮せられた英照皇太后(明治天皇御母)の思召しを以て、明治天皇より太政官に御下命になり、宮城内紅葉山より鎮火三神を奉還し東京府火災鎮護の神社として現今の秋葉原の地の創建せられたのが当社の始めである。明治二十一年鉄道駅設置のため境内地を払下げ現在地に御遷宮となる、秋葉原の駅名も当社名にその因を発する。

2.秋葉神社の境内

 

存在感のある字で秋葉神社と書かれてます
手水舎で身を清めます
勇ましい顔立ちの狛犬です
江戸時代には幾度となく大火災が発生した事から、秋葉大権現(秋葉山)が火防(ひぶせ)の神として信仰を集めていたが、本来この社は秋葉大権現と関係はない。しかし、秋葉大権現が勧請されたものと勘違いした人々は、間違わないようにこの社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、社域である周辺の火除地(空地)を「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだ。 鎮火社はいつしか秋葉社となり、1888年(明治21年)日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が現在の上野駅から秋葉原駅まで延長され、秋葉の原の土地が払い下げられたのに伴って現在の場所に移転した。その後1930年(昭和5年)に秋葉神社と改名された。ちなみに秋葉権現(あきはごんげん)とは、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。
朱色の社殿が際立って見応えあります。
綺麗に管理されて清潔感がありました。
扁額も立派です
遷座百年記念の石碑
東側にある鳥居です
社務所で御朱印頂きます。
御朱印は基本2種類あります。右が通常、左が大ひさごの御朱印となります。
10月1日~14日までの限定御朱印の予告も貼ってありました。

3.参拝後の感想

社務所前で掲示板を見てたら神職の方がきさくに話しかけてくださり色々お話を聞かせて頂いて、何だか心があったかくなりました、有難うございます。

火除け地として秋の原が秋葉原になったという由来が実に興味深く感じました、改めて地名には奥深い歴史が紐づいているのと、普段自分が住んでいる地がどういう経緯でこの地名になったのか調べたくなりました。

「ひさご」について・・・御朱印にも押されてます、ひさごについて書き加えておきます。ひさごとは、ひょうたんというと解り易いでしょうか、古い書物にも荒ぶる火を鎮めるために力を頂くものとして、火の神、水の神、土の神とともに記されているものの一つが「ひさご」です。ひさごは古くから水を汲むのに用いられたものであり、昔話の中には、大火が迫ってきた時にひさごを天に向けて水を撒くしぐさをもって祈念したことで火を鎮める雨が起き類焼を免れたとする伝承も残されています。また「火避ご」が転じた言葉であるとも言われ、災いを除ける象徴と言えましょう。

4.地図・アクセス

アクセス:東京メトロ日比谷線 入谷駅 徒歩5分、東京メトロ銀座線 稲荷町駅 徒歩10分

駐車場:なし