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きままに函館へ

こんにちはMOMOCHIです。北海道番外編ということでバイクを返却してから函館へ行ってきました。

1.特急北斗

南千歳駅から特急北斗に乗車して函館駅へ向かいます。
函館駅まで3時間以上かかりましたが平日で空いていて快適でした。

2.函館駅~函館山展望台

人生初函館駅に降り立ちました。この後展望台に移動して夜景を見に行きます。
函館駅からバスで展望台に着きました。混んでいてロープウェイに乗るまで結構時間かかりました。すっかり日も沈み辺りは夜景モードに突入です。
始めて見る函館夜景は噂通り見応えありました。細くくびれた陸地に瞬く光がまるで星座のようでした。夜景の余韻を残しつつ、この後ホテルでぐっすり休みました。

3.ホテル

翌朝 こちらのホテルは函館駅から徒歩10分
こちらのホテルの朝食がいいとの事で今回こちらに宿泊しました。朝から海鮮丼に出来たりかなり充実したメニューでいかめしもあったのはびっくりしました。

自作海鮮丼!函館の朝市に行こうかなと思ってましたがやめました、こちらで海鮮食することが出来満足です。

4.函館八幡宮

函館市電の松風町から谷地頭まで乗車して函館八幡宮へ移動します。

谷地頭駅から徒歩4~5分で到着です。落ち着いた感じでやはり神社は落ち着きますね。
夏越の大祓ということで茅の輪くぐりがありました。確か8の字にまわってぐるぐると あっ横に案内板ありました、なになに函館八幡宮は三回くぐるとのことで、無病息災、悪疫退散を祈念しながら三回くぐりました。
 森の中に佇み優雅でいて威厳ある雰囲気に感じました。ご祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)住吉大神(すみよしのおおかみ)金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)
境内社の鶴若稲荷神社 ご祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
鶴若稲荷神社の中の様子 倉稲魂命の神は元々は農耕・穀物の神として崇められてきましたが、時代が農業から商業へと変化していく過程で商売繁盛といったご利益に変化していったみたいです。
こちらの社務所で御朱印頂けます。
2種類の御朱印拝受しました。見事です!

5.函館聖ヨハネ教会

八幡宮を後にして徒歩で八幡坂方面に向かいます。写真はチャチャ登りという坂でチャチャとはおじいさんのことで、この坂が急なため、前かがみに腰を曲げて登る姿が老人に似ていたことから「チャチャ登り」と呼ばれたとのことです。
函館聖ヨハネ教会 外観が実にユニークで特徴ある教会です。
屋根が十字架の形になっています。このような建て方は外国では普通で珍しいことではないみたいです。聖書には「教会はキリストのからだ」であるといわれ、それを形で表しているからだとか。
中の様子はこんな感じ 外の光が中に差し込み明るい感じでした。毎週日曜に礼拝と聖餐式(ミサ)が行われてます。

6.函館ハリストス正教会

すぐ近くに函館ハリストス正教会があります。
晴れた空に合う教会です。曇ってましたけど
この辺り一帯異国情緒あふれる外観が多いので楽しめます。

7.カトリック元町教会

カトリック元町教会 この界隈は色んな特徴ある教会があるので本当に楽しめますよ。

 

自由に中に入ることが出来るので入ってみました。中は本当に神聖なる空間でしばらく椅子に座ってこの空気感を味わいました。うちの子供がカトリック系の保育園に通っていて、教会があり当時お祈りしてる様子が蘇ってきて何だか懐かしく感じました。ローマ教皇から送られた祭壇の装飾が見事で一度見る価値ありますよ!

8.八幡坂

八幡坂 坂の頂上からは函館港が見える定番の観光スポットです。

この光景、鎌倉高校前踏切に似ています。踏切はないんですけどね
八幡坂を降りた側からの景色もなかなかのものでした。

函館八幡宮から歩いてきたので少し休憩します。ラッキーピエロのラッキーガラナ飲んで元気つけます。
市電の十字街駅から五稜郭公園前まで移動します。今回函館ではこの市電が大活躍でした。何とSuicaが使用出来るので超便利でしたよ!

9.五稜郭タワー~五稜郭(箱館奉行所)

五稜郭タワーまで来ました。高さ107m
タワーの中は近代的な造りでカフェや土産物屋さんがあります。
土方歳三の像 函館は新選組副長 土方歳三最後の地、箱館戦争で散った志士たちの代表的人物
戊辰戦争は新明治政府と旧幕府軍との対立による戦いで最後の戦いが箱館戦争になります。
五稜郭は日本初の西洋式城郭 稜とは角のことを意味して五つの角がある城郭となります。上からみると星型の形に見えます。この星型を見れるのはこのタワーからしか見れないです。

立派な藤棚です、咲き誇ってる時期は最高でしょうね。ここを通って箱館奉行所の方に進みます。

箱館奉行所 五稜郭公園内にあり復元された立派な建造物です。

10.ラッキーピエロ松陰店

ラッキーピエロ松陰店にやってきました。五稜郭の近くには公園前店とこちらの松陰店があるのですが、公園前店は常に人気で行列が出来ていたので空いていることらに来店しました。外観はユニークですね

店内はアメリカンっぽい雰囲気で何だか賑やかでした。
お土産は種類豊富で、まんじゅう、クッキー、ふりかけ、マヨネーズ、袋ラーメン、カレー、ポテトチップス等ありました。しあわせみそラーメンを買って後日家で食べてみたらなかなかのお味でバターを入れたらより一層おいしくなりました。
オーダーはラッキーピエロでは定番のチャイニーズチキンバーガーセットにしました。メインのバーガーとフライドポテトにミートソースをかけたラキポテとドリンクです。中華風味のチキンとレタスがサンドされてボリュームあってお腹パンパンになりました。

再び市電に乗って湯倉神社を目指します。

11.湯倉神社

函館市電終点駅の湯の川で下車 湯倉神社に辿り着きました。
創建は17世紀半ば、ご祭神は大己貴命(大国主命) 因幡の白兎を助けた神様ですね。

ご利益は縁結びが有名で多くの方が参拝されてました。
境内にはうさぎに関係した場所がいくつもあって明るい雰囲気でした。
撫でうさぎ

太い字体が特徴的でいいですね。

北海道の旅を終えて感じたことは、本当にまた来たい!と思える場所がたくさんあります。今回行った場所も、まだ訪れていない場所も含めてまた必ず訪れたいと思います。次は自分のバイクでエサヌカ線を走って宗谷岬を目指してみたいな

 

きままに安住神社~笠間稲荷神社~かすみがうらへ CBR650R

こんにちは、MOMOCHIです。今回はバイク神社で有名な栃木県にある安住神社へお参りしてきました。ライダーなら一度はお参りしたかったのでようやく念願叶いました。

厚木PA

横浜から出発して安住神社のある宇都宮方面に向かいます。この日は朝4時に家を出ました。無理しないでツーリングしていきたいので休憩ポイントも多めに取ってあります。まずは厚木PAに立ち寄り

狭山PA

圏央道の狭山PAで休憩
段々交通量も増えてきました。

菖蒲PA

圏央道の菖蒲PA
ライダーの方も結構いらっしゃいました。

佐野SA

東北自動車道の佐野SA

栃木と言えばレモンってことで久しぶりに飲んでみました。味はレモンと牛乳を混ぜた感じですね。

安住神社

参拝した日は天気もよく気持ちよく一日走ることが出来ました。

ヘリポートがある神社はなかなかないでしょうから、不思議な光景でした。

御神門 黄金の狛犬が迎えてくれます。
立派な佇まいで迫力あります
安住神社の拝殿 奥に本殿があります。道中の安全をお祈りしました。
全国バイク神社認定第一号 隣にはバイブズ(源)の玉垣が奉納されてます。

多くのライダーの方が参拝されてきたのでしょうね
こちらの社務所で御朱印帳とお守り拝受しました。
この旅の目的の一つでもある、てるてる坊主お守りが欲しくてジェットヘルメットとフルフェイスのがあるのですがジェットヘルの色違いで2つ頂きました。
御朱印は2種類頂きました。中筒男尊(なかつつのをのみこと)は交通を司る神様で安全祈願にふさわしい神様です。
御朱印帳はライダーがツーリングしてる姿が刺繍されていていい記念になります。お守りはバイクと車用に購入しました。

宇都宮餃子~幸楽

安住神社を後にして宇都宮餃子で有名は幸楽さんでお昼にしました。こちらのお店は人気店で常に行列が並んでいました。
20分程待って案内されました。焼き餃子シングルと水餃子シングル、半ライスを注文しました。シングルは6個入りになります。結構なボリュームで焼きをダブルにしないで正解でした。ご馳走様でした。

笠間稲荷神社

笠間稲荷神社に到着です。境内に駐車場があります。
日本三大稲荷の一つと言われる笠間稲荷神社 大きな鳥居が迎えてくれます。
参道の脇にはお店が並んでおります。今回こちらの神社にお参りしたかったのは、藤の花が見たかったのです。毎年GW前後が見頃とのことで日程も合わせてみました。
稲荷神社ということで狐のお面も販売しております。
手水舎 
楼門 「萬世泰平門」と言い、重層入母屋造りで昭和36年に竣工とのこと どおりで綺麗な状態だと思いました。
拝殿 昭和35年竣工 神社建築の美と現代建築の粋を集めた建物になります。

藤の花

笠間稲荷神社には八重の藤と大藤の2種類があります。写真の藤は八重の藤で県の天然記念物に指定されてます。
樹齢400年 八重の藤は花がブドウの実のように集まって咲く珍しい品種です。

大藤も見事に咲き誇っていました。

花穂が地面に向かって伸びていく様は神秘的で圧巻でした。

 

ご神木の胡桃の木 門前通りのお店にはくるみを使ったお菓子やいなり寿司を見かけました。調べてみると昔この地には胡桃の密林があってそこに稲荷神がお祀りされていたことから胡桃下稲荷と呼ばれてます。
御朱印にも胡桃下と書かれてますね。ちなみにビックリマンシールみたいなのは、こちらのご祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)商売繁盛の神様として農業、工業、商業、水産業などあらゆる殖産興業の守護神です。

ケーブルカー~筑波山神社

筑波山神社周辺で二輪が駐車出来る場所は、私が調べた限りはこちら(筑波山第2南側駐車場)しかヒットしなかったです。その理由が筑波山周辺はバイク進入禁止の場所が多く通行規制しております。その影響でバイクが停める場所も少ないのだと。筑波山一帯はローリング族(峠道を周回する違法競走型暴走族)対策のため、二輪車の通行を厳しく制限しており、走行できる路線が限られています。風返し峠からロープウェイ乗り場までの筑波スカイラインは「19時~8時」が二輪通行止めみたいで昼間は通行可能で筑波山スカイライン駐車場は二輪停めれます。笠間稲荷神社から筑波山へのルートは、国道50号~つくば益子線41号~筑波山第2南側駐車場となります。つくば益子線は周りが遮るものが少なく見通しよくて信号も少なく走っていて気持ちよかったです。バイクで筑波山行く際は西側から行ったほうが得策と思います。私は事前によーく調べて行ったので行ったので特に問題なかったですが何も知らずに向かったいたら引き返してとか痛い目に合いそうです。
  • 筑波参道入り口から筑波山へ向かう県道42号(19時~8時を二輪車通行止め)
  • 筑波スカイライン(19時~8時を二輪車通行止め)
  • 表筑波スカイライン(終日二輪車通行止め) 
  • 湯袋峠から筑波山に向かう農道は、終日の二輪車通行止め
  • 土浦市方面からパープルラインにつながる「フルーツライン」も、二輪車は終日通行止め

最初県道42号で風返峠の方に行こうと計画してたのですが、Googleマップのストリートビューで見ていたら道が細く急な曲がり角もあるのでこれは危なくて通れないやということで別ルートのつくば益子線に辿り着いた次第です。

 

家光公によって寄進された八脚楼門です。 2度に渡って焼失し、現在の門は1811年に建立されたものです。 左側に倭健命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の像が祀られています。

筑波山神社 拝殿 大きな鈴が特徴的でした。

駐車場からケーブルカー乗り場の宮脇駅までそこそこ距離がありケーブルカーの最終乗車時間が迫っていたので小走りで向かったので汗だくになりました。宮脇駅までの途中に筑波山神社があります。無事に乗車することが出来ほっとしたいところですが、滞在時間僅か10分程度しかないですよと車掌さんから言われていたので急いで見てまわりました。

こちらは女体山 西日がまぶしかった~
コマ展望台屋上からの景色です。

急いでいた理由にスタンプラリー形式の御朱印が開催されていて台紙に三箇所はんこを押した後、神社に持っていくと直書きを書いてもらえるという内容です。神社の受付時間も17時までなので必死で押してまわりました。

よし三箇所押し終わって帰りのケーブルカーにギリギリ乗り込んで、押した台紙をぼーっと眺めていると異変に気付くことになりました。筑波山の印が何か見本より神々しいぞと・・・しまったお寺の方の印を押してしまった・・・今回この捺し巡り御朱印は神社偏とお寺偏があって、同じ場所に二つの印が置いてあってきちんと書いているのですが、慌てて確認する余裕がなく間違って押してしまいました。
間違って押した台紙を神社に持っていき事情を説明するも玉砕でした。結局筑波山神社の御朱印頂いて書き置きとは知らず更にがっかりでした。あの苦労は何だったのか この時はぐったりして意気消沈してましたが段々時間が経つにつれ、これもいい思い出になるよきっとと思い始めました。

セイコーマート

セイコーマートに寄って晩ご飯調達です。セイコーマートは北海道を中心に展開してるコンビニで茨城と埼玉にも店舗があります。何とセブンよりも前に1971年にコンビニが始まったのは驚きです。店内は北海道の品物が数多くあり店内で作るHOTCHEFが特徴です。そこでなぜ茨城と埼玉に店舗があるのか疑問に思って調べたら、酒卸の取引先だった酒屋さんや食料品店を、近代化する事業としてスタートしたのがセイコーマートで、その取引先を守るためにコンビニとして強化したんだとか。以前は近畿・中国地方にもお店はあったみたいです。茨城と埼玉に現在あるのは東日本の食文化と生活習慣が似ていたからだと、そして郊外店舗が残っていったとのことです。

今夜の宿

今夜の宿はベルズイン土浦
ホテルの地下に駐車場があるのですが事前にバイクで宿泊することを伝えていたので場所は確保されてました。駐車料金は別料金になります。600円だったかな。ですがここの地下の駐車場はおすすめ出来ないです。まず入口に段差みたいなのがあり、それを乗り越えた先が急な下り坂になるので正直怖かったです。乗り越えるのにエンスト2回して心臓バクバク状態でした。あそこで立ちごけでもしていたらと思うとゾッとします
チェックインして部屋番号見ると819(バイク)でした。これも何かの巡り合わせ!?
HOTCHEFのカツ丼 これ店内で作っているんですよ! 肉もやわらかく美味しかった~
この山わさびラーメン人気があるということで試しに食べてみたら、湯気に顔を近づけるとツーンとしたのが目に入って涙目になりながら食べました。刺激強過ぎる~
このガラナもセコマでしか売ってません。コーラ系ですがなかなか癖のある味です。
こちらのエナジードリンクはよくある味わいでした。これ飲んで霞ヶ浦に向かいます。
体力も回復して今日も安全運転で行ってきます。

霞ヶ浦

霞ヶ浦沿いの路をひたすら走ります。
田んぼ横に停車して湖を眺めます。
見渡しいい場所でも記念撮影

安住神社で、てるてる坊主お守り買ったのどこに付けようか、さすがにあの大きさは無理かな・・・タンデムシート下に入れておくかな

この日風が強くビュービュー吹いてまして、霞ヶ浦が波打って道路まで水しぶきがザッパーンとあがってました。

霞ヶ浦沿いを走ってる動画になります。

かすみがうら市水族館

かすみがうら市水族館へ到着 駐車場も広いので安心して停めれます。こちらは淡水魚メインの水族館になります。一般330円、小中学生160円

イトウがいました、初めて見るかも!? イトウはサケ科に属する淡水魚で細長く平たい頭と大きな口が特徴です。イトウと言えば大きさですよね、成魚だと通常1~1.5mになるそうです。過去に2m以上の個体も捕獲されたとか。寿命が20年も生きる長寿ということで、1mの大きさに育つまで10~15年かかると言われます。
オオサンショウウオ 微動だにしません  オオサンショウウオが脱皮するとは知りませんでした。普段全く動かないみたいですが、脱皮する時だけ結構動くみたいです。HPに動画あります。

水族館のすぐ近くに帆引き船発祥の地があります。

歩崎展望台

写真の中央付近に白く見えるのが歩崎(あゆみざき)展望台です。ここに向かいます。
こちらの歩崎観音の階段から登っていきます。
急な階段を上がると見晴らしのいい展望台がりあります。

霞ヶ浦を一望出来る穴場スポットです。私の他に誰も居ませんでした。

虹の塔

虹の塔と呼ばれる展望台です。360°見渡すことが出来るので登って正解でした。この時は貸し切り状態で人が居ませんでした。入場料300円
先程渡ってきた霞ヶ浦大橋 手前が道の駅たまつくりです。多くのライダーの方がいらっしゃいました。
水を張った田んぼがまるでアートのような感覚になりました。

私的にこのアングル絶妙だなと後から写真見てニヤニヤしてました。

エヌオーエヌハンバーガーカフェ

旅の締めくくりは土浦にあるハンバーガーショップに寄ります。エヌ オー エヌ・ハンバーガーカフェ 外観はアメリカっぽく雰囲気あります。結構並んでいて40~50分待ちました。

チェダーチーズバーガー(ポテト付き)とAセット(ドリンク+フライドチキン)注文しました。このAセット+100円でした。お腹はち切れそうになり苦しかった~ご馳走様です。

今回の旅も色々ありましたが楽しい旅になって良かったです。この後高速道路で風との戦いでしたが何とか無事に帰れました。ありがとうCBR! 最後まで読んで頂きありがとうございました。

きままに鳩森八幡神社、代々木八幡宮へ

こんにちはmomochiです。今回は鳩森八幡神社と代々木八幡宮へお参りしてきました。桜の季節になると無性に出掛けたくなります。では行ってみましょう。

鳩森八幡神社

鎮座地: 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24

創建: 860年(貞観2年)

ご祭神 :応神天皇 神功皇后

ご利益:諸願成就、縁結び、勝負運向上

JR千駄ヶ谷駅から徒歩5分程で着きました。参道の桜がきれいです。
手水舎
拝殿を覆うように松の木がアーチ状になってるのが印象的でした。
将棋堂
中には王将の大きい駒があり、駒は欅で出来ていて1.2m程あります。日本将棋連盟が奉納したものです。
神社のすぐ近くに将棋会館があります。
地図ではものすごく高い山かなと思いますが、実際は20m程の高さです。ルートは左側からぐるっとまわりながら登って行きます。
富士塚入口 両脇に狛犬も見守ってくれてます。
石の足場は凸凹してるので登頂の際は十分に気をつけたほうがいいです。
この辺りは足場も狭くて登りにくかったです。

山頂には木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が祀られています。

山頂から境内を眺めた様子です。
境内の桜も見頃を迎えてました。

こちらの社務所で御朱印頂きました。「富士塚には登られましたか」と、気さくに声をかけて頂き心が和みます。

左側は富士塚登拝の御朱印です。見開きで書いて頂きました。

神社の名前通り鳩をモチーフにしたおみくじです。可愛くて人気あるみたいです。

 

代々木公園散策

鳩森八幡神社を後にして代々木公園を通って代々木八幡宮へ向かいます。
公園内は桜が見頃で大勢の方が見に来られていました。
桜並木が何とも言えない良い雰囲気です。

 

代々木八幡宮

鎮座地:東京都渋谷区代々木5-1-1

創建:1212年(建暦2年)

ご祭神:応神天皇

ご利益:厄除開運、家内安全  (出世稲荷神社)仕事運、出世運、金運

代々木八幡宮に到着 

見つめる先に拝殿が見えます。

こちらの手水舎は人感センサーが付いていて近づくと少し遅れてちょろちょろと水が出てきます。
拝殿でお参りします。

参道の脇には代々木八幡遺跡として古代住居がありました。円錐を描く佇まいで茅葺の屋根に覆われ入口が1箇所あります。昭和25年の発掘調査で縄文中期とみられる多数の遺物や住居跡などが発見され、その際に土器などが出土したことから、この住居には約4500年前に人が住んでいたようです。
拝殿右に位置する鳥居を通って境内社である出世稲荷に向かいます。
向かって左側は榛名社、天祖社、稲荷社 右側が出世稲荷になります。

鳥居を通ると小さな社がありこちらが出世稲荷社 仕事運、出世運にご利益があります。お参りに正しい順番があるみたいで、まずは拝殿→榛名社・天祖社・稲荷社→出世稲荷社という順です。

こちらの社務所で御朱印頂きました。
珍しい木製の御朱印帳があります。
代々木八幡宮の御朱印になります。

 

代々木上原ランチ

代々木上原駅南口にあるハルダモンカレー 一見何屋さんだろうと思わせる外観です。こちらのお店は間借りされてるみたいで営業日、時間等よく調べてから行ったほうがいいです。火曜・水曜は基本休みで11:30~14:30営業
この日のメニューは A.無水チキンカレー B.キャンファイヤーポークカレー C.煮干し出汁キーマ(魚と挽肉)
迷ったのですがA+B+Cの全部入りを注文しました。右側がA、左側がB、器に入ってるのがCになります。いずれも香辛料が効いていて汗かきながら食しました。個人的にはBのポークカレーが好みでした。

昼食後は2023東京モーターサイクルショーに行ってきましたので、後日様子をお伝えします

 

きままに伊豆ツーリング~CBR650R~

どうもMOMOCHIです。本日は伊豆へツーリングに行った様子をお伝えします。天気も良く気持ちの良い旅になりました。 

 

1日目~横浜から出発~

洗車してきれいになった愛車で伊豆へ出発です。CBR650Rは積載性があまりないので備え付けのバッグの上にデイバッグを載せて網で固定しております。

いや~絶好のツーリング日和です。風も心地よいですね。
135号線沿いの真鶴パーキングエリアで小休憩にします。にしても天気いいなぁ、海がキラキラッしてます。
私的に海岸線を走るのが大好きで爽快感MAXになります。

1.走り湯

 

本日最初の目的地に到着しました。
熱海ビーチライン脇にある走り湯に到着
こちらの走り湯は1300年前に発見され、日本三大古泉の一つであります。規模は小さいのですが、今回の旅で一番印象深い場所になりました。
走り湯と役行者  階段を上ると何やら石像が案内版には次のように書かれてます。伊豆山の海岸の洞穴から熱いお湯が海に向って流れ出ているのを知っていますか。 昔は、もっともっと勢いよく、走るように流れでていました。 それで「走り湯」と名づけられています。 この「走り湯」には次のような話が伝わっています。 昔、文武天皇のころ(西暦699年)役行者と言う仙人がいました。 この仙人は鬼神を使って、水をくんだり、薪を割らせたり、掃除をさせたりする事ができました。 そんな力のあらう役行者は、しだいにわがままになり都で自分勝手の振る舞いをして、都を騒がせましたので、捕らえられて伊豆の大島に流されました。 その役行者がある日、大島から伊豆の方を眺めていますと、伊豆の山の上に五つの色をした雲が出ているのを見つけました。 不思議に思った役行者は、波の上を渡って来てこの「走り湯」を見つけたという事です。 役行者は、この「走り湯」の近くに草で小さな家を作り、滝のように流れるお湯にうたれながら、さらに修行して立派な仙人になったといる事です。 役行者が罪を許されて都に帰った後も日本中の修験者(山にこもって修行する人)がここに集まって、修業をしたので、「走り湯」の名前は広く知れわたりました。 (あたみの民話と伝説、むかしこんなはなしがあったとさ)より 
走り湯神社
こじんまりとした佇まいです。
ちょうど走り湯の真上に位置します。
走り湯温泉入口
日本では珍しい横穴式の源泉
中はこのように湯気がもくもく立ち込めております。中は体感70°程あるかと思われ自然のサウナでした。

写真ではわかりづらいので動画UPしました。ボコボコと源泉が勢いよく湧き出してます。なかなかの迫力で一人ワーワー騒ぎながら楽しみました。一度来る価値ある場所ですので近くに立ち寄った際はぜひ体験してみてください。

11月なのに汗だくで次の目的地、伊豆山神社へ移動します。

 


2.伊豆山神社


鎮座地:静岡県熱海市伊豆山708-1

創建:孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)ごろと伝わりますので、かなり古いです。承和三年(836)現在地へ遷座

ご祭神:天忍穂耳尊(アメノオシホミミノコミコト)、拷幡千千姫尊(タクハタチヂヒメノミコト)、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)    

ご利益:縁結び、強運守護、福徳和合

ご由緒

関八州総鎮護伊豆山神社は、かつて伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現と称され、略して伊豆山、走湯山と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。
 祭祀の創まりは遥か上古に遡り、本殿に祀られる木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。
 その神威の源は、涌き出づる霊湯「走り湯」です。走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
 神威を被るところは、沖合にうかぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」のひとつとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
 平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てる時の起請文には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。
 そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金塊和歌集』に収められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する伊豆山歌会に受け継がれています。
 明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆることなく、大正三年一月十三日には皇太子であられた昭和天皇、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王殿下が御参拝になられました。
 平成二十三年九月十九日には、新たに『走湯山秘訣絵巻』が奉納されました。関八州総鎮護伊豆山神社の歴史は、東日本大震災からの復興ひいては日本と世界の平和の歩みを支え、未来永劫に築かれていきます。(境内の掲示板より)

伊豆山神社に到着 走り湯からぐるっとまわればすぐ着きます 坂の上にも駐車場があり拝殿がすぐ近くにあるのですが、下から石段を上っていきたいので下に止めました。
伊豆山神社は先ほどの走り湯から参道が始まり、ほとんど階段で本殿まで837段あるみたいです。さすがに一番下からはしんどいなぁ。
一の鳥居 下の駐車場からは、本殿まで170段の階段ですので全然苦にはならなかったです。
二の鳥居
石段を上ると本殿が見えてきました。
手水舎 実際に手を清められます。
赤白二龍はご祭神 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の随神であり、 赤は火を表し、白は水を表しており、火と水の力でお湯(温泉)を生み出す守護神であると書かれてます。
こういう案内図があると分かりやすく助かります。
伊豆山神社の本殿 
本殿中の方も朱く施されてます。
頼朝・政子腰掛け石 自由に座ることが出来、実際座ってみて古に思いを馳せる次第であります。
立派な梛(なぎ)です。御神木の一つと書かれてます。
ハート型のこころむすび 縁結びに関係するパワースポットが随所にあるのでこの日は若い方が多く参拝されてるようでした。
光り石 こちらも自由に座ったり出来ます。
源頼朝が源氏の再興を祈願したことから、源氏の守護神として知られ、また、その頼朝と北条政子がこの場所で忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様としても親しまれています。
この日は秋晴れで紅葉が輝いておりました。
境内から初島が見えます。
こちらの社務所で御朱印頂けます。
書き置きとなります。両方常時頂ける御朱印です。

3.昼食(魚がし鮨)

お腹も空いてきたので魚がし鮨 伊豆の国大仁店でお昼にします。

板長おまかせランチ カニ汁と茶碗蒸しが付いています。流れ鮨って何だろうと思っていたら回転すしみたいにレーンがあってそこから各テーブルに着いてお盆毎スライドして届くシステムでした。

4.修善寺(寄り道)

西伊豆へ向かう途中に修善寺を通るので寄ってみました。
人気の温泉地ですので平日でも賑わっています。
独鈷の湯 時間があれば足湯に浸かりたかったなぁ
修善寺温泉街はいつ来ても雰囲気ある場所です。

5.だるま山高原展望台

だるま山高原展望台に到着 天気がいい日はここから富士山を見ることが出来ます。
駿河湾越しの雄大な富士山を見ることが出来ました。
うっすら雲がかかってますが、これだけ見えれば十分です。

6.西伊豆スカイライン

この旅の楽しみの一つが西伊豆スカイラインを走ることです。
西伊豆スカイラインは伊豆市の戸田峠から土肥峠まで全長10.8km 標高は900m前後を走る峠道です。遮るものが少ないので駿河湾や富士山が見え交通量もほとんど他には走っていませんでした。一人ワインディングロードは最高でした。

いや~こんだけ誰も通らないと自分専用道路でしたよ。

この動画辺りが1番標高の高い場所になります。これで有料道路じゃないというのがいいですね。

7.西天城高原

西天城高原 こちらの夕陽がまぶしく輝いてたのでバイク止めて一休みします。
本当にここに来るまでほとんど誰にも会いませんでした。それだけ交通量が極めて少ない道です。
夕陽を浴びるCBRも絵になります。ちなみに今回の動画はinsta360 one x2で撮影しております。とりあえず録画しておけば360°撮影してくれるので後から編集で好きなアングルで保存出来ます。
ヘルメットを取り、ぼんやり夕陽を眺めてました。

8.今晩の宿

本日お世話になる宿に到着です。西伊豆クリスタルビューホテル
こちらのホテルは駐車場も広く止めやすかったです。
さらにこちらのホテルからは夕陽がきれいに見ることが出来ます。この景色癒される~ この後温泉に入って美味しいもの食べてゆっくり体を休めて次の日に備えます。

9.翌日朝

 

翌朝 今日も天気が良くいい一日になりそうです。ちなみにこちらのホテルは夏はプールも使用可能みたいです。ヤシの実もあってちょっとした南国気分を味わえるのも魅力的です。さてこれから黄金崎の方へ向かいます。
この日も風もほとんどなく快適に走行出来ました。
案内板が見えてきました。黄金崎はこの先右方向ですね。

 

10.黄金崎(馬ロック)

ホテルから15分程で到着しました。駐車場も無料でトイレとお店もあります。
馬ロック 岩の形が馬に見えます。断崖絶壁の景勝地なかなかの見応えですので、ぜひ一度見てください。
近くのお店にはなでしこパネル 夕陽日本一堂ヶ島温泉郷 ゆるキャン△の11話で早朝リンちゃんが黄金崎の馬ロックを見に行ってましたね。
色んなステッカーが売ってます。
さて次の目的地、堂ヶ島へ向かいます。黄金崎から9km15分で着きます。

11.堂ヶ島マリン(洞窟巡り)

チケット売り場で券を購入してから写真の乗り場へ行きます。頻繁に巡行してるのですぐに乗れると思います。大人1,300円 おすすめの乗船位置は一番後ろのデッキがいいです、360°見渡すことが出来るので。今回運よく座ることができ満喫出来ました。あとデッキに座る人は備え付けのライフジャケット着用になります。

舟から見る三四郎島 見る角度で3つにも4つにも島が見えることからこの名が付いたみたいです。この時期は潮位が高くトンボロは見えませんでした。

絶壁続きで見応えあります。

波しぶきをあげながら、こちらの洞窟を舟で入っていきます。

こんな狭い洞窟内を舟で入っていくわけですから相当熟練な運転が要求されます。

透き通って見えます

天窓洞 洞窟内に天井から光を降り注ぐ光景は神秘的で感動しました。

船上から上を見上げると晴れ晴れとした景色が現れます。

自然の光が海面に反射して青く見えるから青の洞窟と呼ばれるのだと思います。老若男女問わず楽しめると思いますので遊覧船はおすすめですよ。

12.土肥金山

堂ヶ島マリンからこちら土肥金山まで約20km30分程で着きます。
土肥金山 観光坑道の見学や巨大金塊に触れてみたり、砂金採り体験を楽しめる金のテーマパークとなっております。今回は砂金取りも体験したいので入場券+砂金取り体験セットを購入しました。別々だと1,750円ですがセットだと1,400円で購入可能です。

侍姿の門番人形が「いらっしゃいませ ようこそ土肥金山へ」といきなり喋りだしびっくりしましたよ。

金鉱石
順路に沿って進むと途中きれいな花が植えてます。
金山だけあって金色の鯉がたくさん泳いでます。

坑内入口 

中はきれいに整備されて展示物も見やすかったです。

坑道内には金の鳥居なるものがありました。
土肥金山の生産量は金40トン、銀400トンを産出 切羽が深くなると温泉や地下水が湧出するため、水の汲み上げに水替人足が多数使われた。

坑内は結構天井が低い場所もあるので気をつけながら進んで行きます。

坑内で働く人は十日間を基準としていてそれを一十日(ひととおか)と呼んで出鉱高を計算したり大工の稼ぎや人足賃などを支払った。坑内はゆっくり回ることが出来るので金山の歴史を学ぶことが出来ます。

鉱山トンネルから出ると目の前に資料館があります。

資料館の中は様々な物が展示してあって面白いです。

千石舟 江戸時代に使われていた大型商船で、土肥金山の金銀を運搬したりしていました。実際の1/8サイズ

千両箱がどれだけ重いのか体験出来ます。重量は22kg ずっしり重かった~

12.5kgの金塊

250kgの巨大金塊が展示していて実際に小さな窓に手を入れて触ることが出来ます。

この日の価格は22億1,100万円でした。ギネスブックにも認定されてるみたいですね。すぐ近くに警備員の方が常時見守っております。

金の茶釜や金のしゃちほこが展示してあります。
さてお次は砂金取り体験をしました。

まずは写真の小瓶を渡され、それにいっぱいまで水を入れ置いておきます。
次にパンニングと呼ばれる砂金取り専用の皿で手前に砂をすくい上げます。
そして皿の左右を持って上下に車のハンドルを運転するような感じで何回も揺らしていきます。この作業が大事みたいで金が下にたまっていくとのこと。
くぼんでいる方を上にして余分な砂を落としていきます。このときくぼみに金があれば引っ掛かり残ります。お分かりになるでしょうか、写真上辺りに小さく金があります。この金をさきほどの小瓶に入れます。あとはこの繰り返しで一度に2個取れる時もあれば何も取れないときもあります。実際5~6回すくって1個取れるような感じでした。
結果は体験時間30分で7個でした。途中体制がしんどくて腕が悲鳴をあげていたので休憩しながら取りました。
こちらの建物でお土産買ったり・お食事出来ます。
ディスプレイに金箔のカステラが一番人気みたいなので購入してみました。

もっと金箔がのってるかなと期待しましたが控えめでした。
肝心の味はカステラ自体美味しかったです。金箔って味しないですもんね。

駐車場に戻ってくると来た時は2台しか止まってなかったのですが、ずらっとライダーさんのバイクがありました。何か落ち着きます。このあと安全運転で岐路に着きました。最後まで読んで頂きありがとうございます。

きままにほったらかしキャンプ場へ

どうもMOMOCHIです。今回は山梨県にある「ほったらかしキャンプ場」へ行ってきました。こちらのキャンプ場はweb予約のみ受け付けていて、人気のキャンプ場で3カ月前から予約出来るのですが、朝受付時間になってサイトにつながったり、途切れたりを繰り返し30分かけてようやく予約できたところです。

キャンプ場は標高700mの場所にあり、高台から富士山が見えるロケーションのいい場所です。すぐ近くに「ほったらかし温泉」があるのでこちらの温泉からも富士山を眺めながら入浴することが出来ます。

まずはスーパー(ベイシア山梨店)で買い出しをします。駐車場が広く品揃えも豊富で助かります。

スーパーからすぐ近くにある、吉田うどんのたけ川さんで昼食にします。
肉うどんを注文 馬肉、キャベツ、ねぎが入っており、つゆは魚介系の出汁に醤油と味噌を合わせてあって、麺は少しかためでしたが、とても美味しかったです。支払いはうどんが来たのと同時に料金を払いました。腹ごしらえも済んだことで、ここからキャンプ場へ向かいます。
ほったらかしキャンプ場に到着です。13時チェックイン、翌朝11時迄がチェックアウトの時間となっております。地面に赤土が敷き詰めており雰囲気があります。受付を済ませて予約したサイトへ移動します。
今回予約した区画サイトは、受付からすぐ近くにあるので迷うことなく行けると思います。この道をまっすぐ進むと下の写真の別れ道に辿り着きます。
区画サイトは左側の道を進んで行きます。ちなみに右側の坂を登ってさらに上に行くと、どこでもドアらしき扉が見えてきます。
区画サイト1に到着です。大きさは9m×7mあるので車を右端に止めても余裕がある感じでした。+1,000円払えばコンセントも使用可能です。目の前に富士山がそびえたってるはずですが、終始雲に覆われて見えなったです。でも甲府盆地を望む景色は最高でした。あと洗い場でお湯がでるのも嬉しかったです。
まずはワンポールテント&タープを設営していきます。今回からテントとタープを連結する△ハットを使うことにしました。
ポールを立てるのは前の一箇所だけなので比較的楽にタープを設営出来るのでおすすめです。
テントの中は、二股化しております。これによって空間を自由に使えるのでワンポールテントには今後もガンガン使っていきます。地面は敷石で、ペグも難なく埋まってくれました。
設営も終わって、タープ下から甲府盆地の景色を満喫です。
晩ご飯まで時間あったので、歩いて近くのほったらかし温泉へ行ってきます。ほったらかし温泉には男女2つの湯があって、こっちの湯とあっちの湯があります。あっちの湯の方が広いということであっちの湯に入りました。人気の温泉なので平日でも結構な人が入浴されてました。ぬるめで長く入れる温泉という印象です。もちろん景色は良かったです。(富士山は厚い雲で相変わらず見えなったけど)
こちらの階段を降りたところにあっちの湯があります。
滞在中こんな景色ばかりで雲よどっかいけと念じておりました。
こちらの売店では「温玉あげ」なるものが美味しいという情報を得て食してみました。
いわゆる中はトロッ、外はカリッとしていて美味しくペロッと食べちゃいました。
せっかくなので、入浴タオル買ってみました。「あっち、こっち、どっち、そっち」と面白い掛け合いです。
夜はBBQした後、焚き火でまったり時間を満喫 この時期だとだいぶ蚊が少ないと思いきやそこそこいたので、慌てて売店で虫よけスプレーを買いに行きました。
消灯の22時近くまで焚き火しながら夜景を眺めていました。
翌朝天気が良く富士山が見えるかなと期待していましたが、変わらず雲に覆われて見えません。ホットサンドメーカーを使って朝食にします。
チェックアウトまで時間があったので、キャンプ場内をぐるっと一周してみました。やはり人気のキャンプ場なのでどこのサイトも埋まっておりそれぞれ思い思いに楽しむ姿が見られました。この日は周りの環境もよく気持ちよくキャンプが出来ました。また来たいと思います。次こそは富士山見れますように。
最後にこちらが「どこでもドア」 なんでこんなところに、管理者の遊び心でしょうか。


河口浅間神社(山梨県南都留郡河口湖町)


神社情報

鎮座地:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1番地

創建:貞観6年(864年)

ご祭神:浅間大神(木花開耶姫命・このはなさくやひめのみこと)

ご利益:子孫繁栄、縁結び

ご由緒

人皇第56代清和天皇の御字、貞観6年(864年)5月富士山大噴火の事あり、富士山北面に在った大湖、剗ノ海(現青木ヶ原流域)埋没す。この様な大噴火の為、時の住民は甚大な災害を被く。此の事、甲斐の国司、橘ノ末茂公より朝廷に奏上、翌貞観7年12月9日丙辰の勅命により、富士山の神、浅間明神を此の地に奉斎、擬の大領 無位伴直真貞公を祝に、同郡の人伴秋吉公を禰宜に任じ、富士山噴火の鎮祭を行う。これ当神社の御創祀である。延喜の制により名神大社に列せられる。平成25年6月26日、富士山世界遺産の構成資産となる。

 

キャンプ場を後にして、次は御朱印を頂きに行きました。富士河口湖町にあります河口浅間神社へお参りします。道路を挟んで向かい側に駐車場があります。
立派な鳥居です。杉並木を通って拝殿へ向かいます。
昨年までは手水舎は使用出来なくなってるところが多かったですが、ここ最近再開してるように思います。
随神門
拝殿でお参りします。こちらの神社には、富士山の噴火を鎮めるために行われてきた伝統芸能「稚児の舞」があり国の重要無形民俗に指定されております。緋色の袴姿の少女が舞手となり、右手に鈴、左手に御幣(ごへい)や扇などの採物を持って舞います。その動きは、摺(す)り足を基本として、舞場の四方(しほう)を意識したものです。現在も毎年7月28日の太々御神楽祭(だいだいおかぐらさい)で少女たちによって奉舞されます。
美麗石(ひいら石) 浅間明神を祀った古代祭祀の石閣の残欠で石を以って造営された祭祀は彩り美麗であったと言われる
河口浅間神社の七本杉 県指定の天然記念物になっており、最大の木は根廻り30m余、樹高47m以上になります。
大きな木がそこら中にそびえたっております。杉、檜、栂、欅、松等、100本余りがあるとのことです。荘厳な佇まいでした。
こちらの社務所で御朱印頂けます。
直書きの御朱印頂きました。初穂料は300円 富士山の絵が素敵です。
遥拝所 天空の鳥居 浅間神社の裏山を登ったところにこちらの遥拝所があります。歩いて登ると30分程かかると思います。私は車で10分程で着きました。道が狭いのですれ違う際は気をつけたほうがいいです。眺望はこれまた富士山が見えれば・・・ でも近くにキャンプ場もあって河口湖を見下ろす景色は格別でした。                                

浅間神社は富士山をご神体として、小高い丘の上から霊峰・富士を遥拝する信仰から生まれました。古くは「浅間」を「せんげん」ではなく、「あさま」と読んだことに由来します。 富士と人との係りは、遙拝、修験、登拝と続きます。 当神社は、遙拝、修験、登拝を有する唯一の神社です。 富士は怖ろしく美しい山で、人は遥か彼方より 仰ぎみる神の山でした。 当神社から母の白滝に向かう道中の宮司個人所有の山麓斜面に桜を植え「遥拝」「修験」「登拝」の富士山信仰の三形態を体験できる場所を備えたいと考えております。(HPより)

神社を後にして河口湖の北側に位置する大石公園に行ってみました。夏にはラベンダーが咲き富士山とのコラボ写真はよくポスターにもなったりしております。

この時期はコキアが咲いていてまん丸かわいい表情が特徴的でした。近年人気があるみたいですね。

最後に富士山の頂だけ見ることが出来ました。

富士山の見えるカフェで巨峰ソフトクリームが売ってたので食べてみたらめっちゃ美味しかったですぜひご賞味してください。

 

きままに根津神社、湯島天満宮へお参りします

どうもMOMOCHIです。本日は東京都文京区に鎮座してます根津神社と湯島天満宮へお参りしてきました。


根津神社(東京都文京区)


神社情報

鎮座地:東京都文京区根津1-28-9

創建:年代は不詳 古くより千駄木に創祀

ご祭神:須佐之男命大山咋命誉田別命

ご利益:縁結び、願望成就、厄除け、邪気払い

ご由緒

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。

江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。

明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。(HPより)

旧根津須賀町

もと、甲府宰相徳川綱重の屋敷があった。綱重の子の綱豊がここで生まれ、団子坂上にあった根津神社が産土神(生まれた土地の神)であった。綱豊は綱吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に移った。

綱吉は、宝永3年(1706)根津神社を甲府屋敷の跡に移し、華麗な社殿を造営した。また町屋が開かれ、根津社地門前と称した。明治2年、町名を根津須賀町とした。根津の名の由来には、ねづみのいわれ、台地の根にあって舟の泊まるところなどの各説がある。須賀は、根津神社の祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、出雲の須賀に宮居を定め、わが心須賀須賀須といわれたによると。(境内掲示板より)

 

表参道口から境内に入っていきます。境内はつつじの名所で4月中旬から5月上旬まで咲き誇ります。
神橋を通って楼門に向かいます。都内で江戸時代の楼門が残るのは根津神社だけとなります。
唐門を通り社殿が見えます。
根津神社の拝殿になります。
拝殿・本殿ともに権現造となり国の重要文化財となります。
拝殿前には願掛けカヤの木があり、縁結び、願望成就のスポットとなります。
こちらの授与所で御朱印頂けます。書置きとなります。
初穂料は500円になります。

お腹も空いたので、餃子市場根津店で昼食にします。
最初は根津神社参拝前に谷中銀座で食べ歩きでもしようと思って向かったのですが、平日だからか閉まっている店が多くて空振りに終わりました。少し残念
結構歩いたので、不忍池で休憩にします。この後湯島天満宮へ向かいます。

 


湯島天満宮(東京都文京区)


神社情報

鎮座地:東京都文京区湯島3-30-1

創建:雄略天皇二年(458年)

ご祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)

ご利益:学業・芸事上達、勝運・強運アップ

ご由緒

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。

 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。(HPより)

 

 

貫禄のある銅製の明神鳥居(都指定文化財)です。都内に現存する最も古い鋳造の鳥居となります。境内に至るまでに男坂、女坂、夫婦坂と3つの坂が存在します。女坂の方は歌川広重の名所江戸百景「湯しま天神坂上眺望」に描かれています。高台から不忍池方向を見る景色は素晴らしかったことでしょう。
手水舎と撫で牛 天満宮と呼ばれる神社にはよくある光景です。自分の体の悪いところと同じ箇所を撫でるとよくなると言われます。
湯島天神は通称の名前で、正式には平成12年に湯島天満宮と定められました。
社殿は1995年に総檜造りで改築されました。
拝殿に向かって左側に立派な御神木があります。写真奥に見えます社務所で御朱印頂けます。
梅園・筆塚 梅の季節になると見事に咲き誇ります。筆塚は使い古した筆を供養する場所です。庭園は見応えあり、椅子に座ってほっと一息つける場所でした。
直書きで御朱印頂けました。夏詣の印も涼しげです。

この後上野駅まで歩いてアメ横をぶらっと見て帰りました。この日は15,000歩、歩きました、流石に真夏にこんなに歩くと疲れました、へとへとです。都会にある神社は突然ワープしたかのような所が多いのが魅力的です。周りは高層ビルでその隣に緑がたくさんある、そんな光景が東京には数多くあります。

 

 

新倉山富士浅間公園~忠霊塔~桜~笛吹市~桃の花 ツーリング

こんにちはMOMOCHIです。

今回は以前から一度行ってみたかった山梨県にある新倉山浅間公園から見る絶景スポットにツーリングに行ってきました。後半は笛吹市の桃の花を見てきました。いや~最高でした!


まずは小室浅間神社を目指します。この日は穏やかな天気で富士吉田の桜が見頃と聞いて馳せ参じた次第です。

小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)

鎮座地:山梨県富士吉田市下吉田3-32-18

創建:大同二年(西暦807年)

ご祭神:木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

ご利益:五穀豊穣、縁結び、鎮火防災、金運隆昌

 

桜咲くトンネルの参道を歩いて拝殿へ向かいます。
途中ハート形の桜の木があります。木花咲耶姫様が見守る参道に美しさの代名詞として使われれる桜の木にハートの瘤が現れた事を御縁深く思い、縁結びの御神木として篤くお守りされています。
まさにハートの形でした!注連縄を張ることでより一層ご利益ありそうです。
入山川にかかる赤い浅間橋
こちらの神社は秋に流鏑馬を行い、蹄の跡で吉凶を占うという変わった神事があるみたいです。
富士山を模した手水舎で清めます。
拝殿
拝殿裏には富士山噴火当時の溶岩流の一部が残っています。
神馬舎
神馬舎 白の神馬がいます。馬がいる神社を参拝するのは生涯初めてだと思います。
終始落ち着いた雰囲気で癒されます。
駐車場の入り口が少し迷うかもと情報ありましたが、すぐに分かりました。
最初桜の木の下に駐輪していたのですが、結婚式の写真を撮りたいので移動お願いしますとこちらに停めました
小室浅間神社の御朱印です。今では貴重な直書きして頂きました。
富士急行 下吉田駅にはトーマス車両が展示してあるのを見つつ展望デッキへ向かいます。
表参道になります。こちらから階段をのぼって展望デッキへと続いてます。
ここから398段上ります。急な階段ではないのでそんなにきつくなく上れました。
新倉富士浅間神社の鳥居から富士山を眺めます。いい眺めです。
展望デッキまで少し前の場所から一枚 多くの方がこちらから写真撮ってました。
富士山・忠霊塔・桜 この景色をずっと前から見たかったので念願叶いました。
忠霊塔と桜の木が一体になってる感じでした。

 

新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)

鎮座地:〒403-0031 山梨県富士吉田市浅間2-4-1

創建:慶雲三年(西暦705年)

ご祭神:

木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)

大山祗命 (おおやまづみのみこと)

瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)

ご利益:厄除け、家庭円満

 

正面に見えるのが拝殿となります。山中に建つ荘厳な佇まいです。
展望デッキからの帰り道、多くの方が立ち寄られてお参りしてました。
新倉山富士浅間神社の御朱印です。書置きになります。

~桃畑がある笛吹市へ移動~

富士吉田から約20~30分の距離で笛吹市春日居町に移動しました。ピーチライン沿いの桃畑は見渡す限り桃の花一色でした。
桃の生産量日本一を誇る笛吹市 まさに桃源郷の世界に居る感覚でした。
古来から桃は、邪悪な物から厄をはね返して災いから守るといわれてます。
古事記にはイザナギノミコトが黄泉の国へ行き、帰る際に桃の実を投げて化け物たちを蹴散らしたという話は有名です。 また桃の木で作られた櫛は魔除けになると言われており、昔は女性に桃の木で作られた櫛を贈る習慣がありました。
京都の晴明神社に厄除け桃があるのですが、毎回参拝するたびに、桃に触れて厄を落としてます。筆者は家の庭木にも桃の木を植えておりまして生粋の桃好きであります。
あれこれ桃の魔除けについて書きましたが、何といっても桃の花は華やかな中にも凛とした表情が備わっていて魅かれる果樹です。
昼食は春日居町にあるウエストマウンテンさんで頂きました。西部劇に出てきそうな外観です。
店内はウッド調で落ち着いた雰囲気でした。中央に薪ストーブがあります。
訪れた時期が端午の節句に近かったので、奥の方に鯉のぼりと甲冑が展示してありました。
焼きカレー(シーフード入り)を注文しました。
喉が渇いてたのでクリームソーダも
焼きカレーはなかなか食べ応えありました。ご馳走様でした。
薪がたくさん積んであります。この薪を店内の薪ストーブに使用するのでしょうね。本日は桜と桃の花を満喫した一日でした。明日からも頑張ろうっと。

きままに蛇窪神社へお参りします

どうもMOMOCHIです。今回は東京都品川区に鎮座してます蛇窪神社へお参りして来ました。


御朱印直書きして頂きました。白蛇と白龍のはんこの間に蛇窪大明神 全体のバランスが整っております。


蛇窪神社(東京都品川区)


 


1.神社情報

神社名:蛇窪神社(通称)   天祖神社(正式名称)

鎮座地:東京都品川区二葉

創建:鎌倉時代 1323年頃

ご祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)天児屋根命(あめのこやねのみこと)応神天皇(おうじんてんのう)。他境内社の神様

この一帯の地域が「蛇窪(へびくぼ)」と呼ばれていたことから、そのすべての神様を総称して「蛇窪大明神」と呼ばれてます。

ご利益:良縁 財運隆昌 病気平癒 心身清浄

ご由緒

文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。
    その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森(大田区)に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。
    文永8年の秋から50年ほどを経た元亨2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
    これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩に応えて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史)
なお 一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。 
当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。
令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。HPより

 

2.境内の様子

 

年末にお参りしたので右側に見えるのは露店でしょうかお正月も賑わったことでしょう。

御朱印で有名な神社ですので混んでるかなと思いましたが、この日は比較的空いてました。

手水舎は綺麗に花が浮かんでました。

白蛇辨財天社/夢巳橋

かつてこの地に住んでいた白蛇が地元の人の夢枕に現れたことから、社殿横には弁天社の祠があります。白蛇様と龍神様をお祀りしていることから、巳が辰(身が立つ)=立身出世のご神徳があるといわれています。

 

 

蛇窪龍神社

この地で1000年以上の歴史があると伝わる蛇窪の守護神。7匹の白蛇と全長8mの白龍は神様の使いである白蛇が、8匹目で白龍になるという言い伝えを表している。

 

 

辨天池・白龍の滝・龍神の玉

白蛇は白龍になって滝を上るといわれている。龍神様の守る「龍神の玉」を白蛇清水が清めている。

 

 

至る所に白蛇様がお祀りしてたのが印象的な神社でした。己巳の日(つちのとみのひ)は60日に一度訪れる日でその日は限定御朱印が頂けるそうで長蛇の列が出来るみたいです。

3.昼食

お昼は戸越銀座まで歩いてこちらのお店で頂きました。

ランチタイムでしたので、Bランチを注文しました。メンチカツ・エビフライ・イカフライでした。ご馳走様です。

4.アクセス

都営浅草線 中延駅 徒歩5分 東急大井町線 中延駅 徒歩6分 JR横須賀線 西大井駅 徒歩8分

きままに富津海岸へツーリング~海ほたる~八剱八幡神社で御朱印

どうもMOMOCHIです。

今回は東京湾アクアラインを通って富津海岸へツーリングに行ってきました。私自身アクアラインは初めて行くのでわくわくします。まずは海ほたるへ向かいます。

横浜から出発して首都高湾岸線で途中渋滞してましたが無事に到着しました。そして展望デッキからの眺望です。写真でよく見る光景なので見慣れてるのですが、生で見ると鳥肌が立ちましたね。

360°見渡せる大パノラマは圧巻です。この人口島を作ったのが人間って思うと凄い!

こちらに停めて海ほたるを散策しました。12月の平日ですが結構バイク停まってました。

海ほたるを満喫したので、ここから富津岬へ向かいます。行きも帰りも感じたのですが海ほたるから木更津へ向かう海上の道の風が凄かったです、この日はそんなに風は吹いてなかったのですが、海の上に作った道だけに遮るものがなく常に風が強いのでしょうね。

アクアラインを降りてから30分程で富津岬へ到着です。

複数の展望台と複雑な階層からの展望タワーはなかなか見応えあります。誰も居なかったので一番上まで登ってみました、運が良ければ富士山も見えるみたいです。

バイクって海岸に停めるだけでカッコイイですよね。

でも潮風にさらされてるので帰ったら軽く流してあげないと。

このポイントは展望台以外特に何があるわけではないですが、海を満喫するにはもってこいの場所に違いないです。

駐車場はかなり広かったです。お腹が空いてきたので何か食べる場所探してみます。

やはり房総半島に来たのだから海鮮食べないと帰れないでしょうってことで富津岬からほど近い場所にあるこちらのお店に決めました。

着いたのは14時前だったのでお客さんはちらほら居られました。

メニューが色々あり過ぎて周りの人はどんなの頼んでるのかキョロキョロしながらも決断したのが、刺身定食+あなご天ぷら付きをオーダーしました。刺身は新鮮でつぶ貝もあって色んな味が楽しめて美味しく頂きました。穴子も「サクほろっ」で口の中に溶けていきました。

腹ごしらえもしたところで、本日最後の目的地、八剱八幡神社へ向かいます。こちらのお店から15分程で到着です。


八剱八幡神社(千葉県木更津市)


木更津駅から徒歩5分の距離に鎮座してます。


鎮座地:千葉県木更津市富士見

創建:鎌倉時代初期

ご祭神:誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、足仲彦命、素戔嗚命、日本武尊

ご利益:厄除・交通安全・商売繁盛・合格祈願・学業成就

ご由緒

往古、このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、里の神は八剱の神として祀られていた。日本武尊は御東征の折り、相模よりこの地に船で渡ろうとするとき、暴風雨により転覆寸前となった。妃橘姫が海の怒りを鎮めるため、尊の身代わりとなり御入水あそばされた。尊は無事にお着きになり、姫の死を慎んでしばらく当社にご滞留され、後に御祭神として祀られている。また地名の由来ともなり、尊は此の地を去ることをされなかったので、「君去らず」と呼び、訛って現在の「木更津」になったと伝えられる。

源頼朝公が、鎌倉幕府に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。

天正十九年十一月、徳川家康公社領三石二斗の寄進を受け、御朱印の証を授与される。

慶長十九年、大阪冬の陣で家康方に多くの船頭が召し出され、目覚ましい働きをした。これも八剱八幡神社の加護の賜物として、当社祠官を駿府城に招き銅鳥一隻と銀子を贈り神恩に感謝した。

宝暦二年大火に依り、社殿を焼失。安永二年現社殿を再建。明治四年には郷社に列せられる。大正三年七月社殿の大改修をする。昭和五十五年の改修に際し、格天井装飾画も復元された。(頒布パンフレットより)


木更津駅からみまち通りを通って5分くらい歩くと着きます。

拝殿でお参りします。茅の輪くぐりが設けてあります。疫病退散の願いを込めて!拝殿右奥にある神輿殿の中には、1850年に造られた「関東一の大神輿」と呼ばれる神輿が格納されているのが見えます。

カラフルな吊るし飾りの下で一息つきます。

新しく立派な参集殿兼社務所を背景に一枚

こちらの神社は源頼朝にゆかりのある神社で境内には頼朝が自ら植えたソテツがありました。

この後再びアクアラインを通って岐路に着きました。

 

地図

きままに川越氷川神社へ参拝します。

ご無沙汰しております。MOMOCHIです。久しぶりに記事書いてみました。

今回は埼玉に鎮座してます川越氷川神社へお参りしました。

 

9月初旬に参拝しました。

 


川越氷川神社の見開き御朱印です。

 


川越氷川神社(埼玉県川越市)


拝殿には長い行列が出来ていました。なかなかの込み具合です。

神社情報

鎮座地:埼玉県川越市宮下町2-11-3

創建:欽明天皇二年(541年)

ご祭神:素盞鳴尊(すさのおのみこと)脚摩乳命(あしなづちのみこと) 手摩乳命(てなづちのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)

ご利益:夫婦円満 縁結び

 

1.ご由緒

川越氷川神社は今から約千五百年前、古墳時代の欽明天皇二年に創建されたと伝えられています。室町時代の長禄元(1457)年、太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬されました。 江戸時代に入ってのちも歴代の川越藩主より社殿の造営や特別の計らいを受けました。現在の本殿には緻密な彫刻が施されており、県の重要文化財となっています。 また、昔より縁結びの神様としての信仰を集め、人々のご縁を取り持ってまいりましたのは、お祀りしている五柱の神様(ご祭神)にあります。


2.境内の様子

 

鳥居をくぐると風鈴に圧倒されます。

 

 

色とりどりの風鈴が華やかで絵になります。
こちらで記念撮影される方が多かったです。

3.参拝後の感想

縁結びで有名な神社で多くの方がひっきりなしにお参りに来られます。夏の間は風鈴が風で音色を奏でて風情ある情景を見聞きすることが出来ます。

浴衣をお召しになった方が結構いらっしゃって、お参り後に川越の街を散策するのが王道みたいです。やはり浴衣はいいですね、街が華やかになります。

4.アクセス

1) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 東武バス上尾駅西口行きほか(埼玉医大経由)「宮下町」下車1分
2) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 東武バス神明町車庫行きほか(蔵のまち経由)「喜多町」下車徒歩5分
3) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 小江戸巡回バス「氷川神社前」下車徒歩0分
4) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 小江戸名所めぐりバス「宮下町」下車徒歩0分
5) 川越ICから車で20分

 

5.昼食

 

川越氷川神社からすぐ近くにある台湾料理パンダさんで昼食頂きました。