本日は令和最初の御朱印巡りで気分も新たに行ってみたいと思います。
本日の予定は、相模の国六社の残り四社を巡りつつ、その近くの御朱印も頂きたいと思いルートを設定しました。
川勾神社~六所神社~平塚八幡宮~平塚三嶋神社~比々多神社
まずは川勾神社へ参ります。←かわわと読みます。(参拝日2019年5月17日)
川勾神社(神奈川県中郡)
神社情報
鎮座地:神奈川県中郡二宮町山西2122
創建:第11代垂仁天皇の時代(約2000年前)
御祭神
・大名貴命 (おおなむじのみこと)/日本の国土を御開拓された神様です
・大物忌命 (おおものいみのみこと)/殖産興業に御功績のあった神様です
・級津彦命 (しなつひこのみこと)/風の神・息吹の神
・級津姫命 (しなつひめのみこと)/磯長(しなが)の国(相模川より県西部)を御開拓なされた夫婦の神様です
・衣通姫命 (そとほりひめのみこと)/安産守護に御神徳(ごしんとく)・霊験(れんけん)あらたかな神様です
ご利益:五穀豊穣、家内安全、商売繁盛
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1.ご由緒
当神社は、相模国の二之宮で古くから二宮大明神、又は二宮明神社と称し、二宮町の町名は当社が二之宮であることからきています。又、延喜式式内社(えんぎしきしきないしゃ)とは延長5年(927年)にまとめられた『延喜式(えんぎしき)』(平安時代中期に編纂された法律)の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)(全国の神社一覧)に所載された、相模国13社の中の名社であります。 創建は、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代(約2000年前)、磯長国造(しながのくにみやつこ)(今の県知事のような人)・阿屋葉(あやはの)造(みやつこ)という人が国の勅命により、磯長国(今の県西部)鎮護の為創祀。日本武尊が東征途中、奉幣祈願(ほうべいきがん)をされ、第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)皇妃の衣通姫命(そとほりひめのみこと)安産祈願を始め、建久3年源頼朝、安産祈願の為神馬を奉納し、小田原北条氏より鬼門守護社として崇敬深く、徳川家康公、九州名護屋出陣の際祈祷札を献上、殊のほか喜ばれ御朱印地五十石を与えられました。 それ以後、歴代徳川将軍に御朱印地を認められ又、歴代宮司には「二見神太郎」を名乗ることを、正月には必ず江戸城に登城してご挨拶申上げ御祓札を献ずるのが例となりこれが幕末まで続き、明治6年郷社に列っせらます。 現在宮司二見家は、第65代一条天皇の永延元年(987年)粟田中納言(あわだちゅうなごん)次男、次郎藤原景平(ふじわらかげひら)が初代宮司となり二見氏を名乗り、以来1200年、今日まで続き、現在の宮司で41代続いています。 敷地2千坪、四方を森に囲まれ閑静典雅にして神聖な霊地であります。社蔵宝物主なるものは、二見家初代宮司が三重県伊勢二見浦より携えてきた雨乞い神事の網石、茅葺屋根の神門に県内最古(平安後期)の随神像、旧神領地より発見された田船(奈良時代)、国府祭(こおのまち)神揃山(かみそろいやま)祭場古地図(江戸中期)、初代総理大臣伊藤博文公直筆の鳥居額が保存、その他古文書記録多数がございます。(HPより引用)
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2.川勾神社の境内
3.参拝後の感想
神社の周りは田んぼがありのどかな光景でした。個人的に理想的な神社の佇まいで素朴な感じで落ち着いた神社といった印象です。管理も行き届いて境内はきれいでした。私が参拝したときは、誰もいなくて御朱印頂けるか不安でしたが、何回かインターホンを押して待っていると宮司さんがお待たせしましたと来られて無事御朱印頂けました、良かった~ あと境内の所々に以前の鳥居や神社の石板があり他ではあまり見かけない光景だったので新鮮に感じましたね。令和最初の参拝、こちらを選んで良かったです。
4.地図・アクセス
アクセス :JR東海道本線二宮駅から神奈川中央交通バス国府津駅行き押切坂上下車徒歩10分
車・バイク: 西湘バイパス西湘二宮インターチェンジから約15分
駐車場:神社入り口近くに駐車場が有ります。