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今回は静岡県富士宮市にあります「ふもとっぱらキャンプ場」へマイカーでソロキャン行ってきました。当日は天気が心配で雨予報になっていたのですが、人気のキャンプ場ということで平日にもかかわらず多くの方が楽しんでおられました。

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御朱印
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今回は静岡県富士宮市にあります「ふもとっぱらキャンプ場」へマイカーでソロキャン行ってきました。当日は天気が心配で雨予報になっていたのですが、人気のキャンプ場ということで平日にもかかわらず多くの方が楽しんでおられました。
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本日は春の風に誘われて、相棒のCBR650Rで湘南ツーリングに行ってきました。
まずは逗子マリーナへ向かいます。逗子マリーナと言えばヤシの木です、何本あるのでしょうか、凄い数のヤシの木が立ってます。南国感を味わうことができます。
~葉山マリーナ~
~由比ガ浜/材木座海岸~
~鎌倉高校前踏切~
~江の島~
こんにちはMOMOCHIです。Tweet
今回は以前から一度行ってみたかった山梨県にある新倉山浅間公園から見る絶景スポットにツーリングに行ってきました。後半は笛吹市の桃の花を見てきました。いや~最高でした!
まずは小室浅間神社を目指します。この日は穏やかな天気で富士吉田の桜が見頃と聞いて馳せ参じた次第です。
小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ) 鎮座地:山梨県富士吉田市下吉田3-32-18 創建:大同二年(西暦807年) ご祭神:木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) ご利益:五穀豊穣、縁結び、鎮火防災、金運隆昌 |
新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ) 鎮座地:〒403-0031 山梨県富士吉田市浅間2-4-1 創建:慶雲三年(西暦705年) ご祭神: 木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) 大山祗命 (おおやまづみのみこと) 瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) ご利益:厄除け、家庭円満 |
~桃畑がある笛吹市へ移動~
どうもMOMOCHIです。今回は東京都品川区に鎮座してます蛇窪神社へお参りして来ました。Tweet
御朱印直書きして頂きました。白蛇と白龍のはんこの間に蛇窪大明神 全体のバランスが整っております。
蛇窪神社(東京都品川区)
神社名:蛇窪神社(通称) 天祖神社(正式名称) 鎮座地:東京都品川区二葉 創建:鎌倉時代 1323年頃 ご祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)天児屋根命(あめのこやねのみこと)応神天皇(おうじんてんのう)。他境内社の神様 この一帯の地域が「蛇窪(へびくぼ)」と呼ばれていたことから、そのすべての神様を総称して「蛇窪大明神」と呼ばれてます。 ご利益:良縁 財運隆昌 病気平癒 心身清浄 |
ご由緒
文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。 その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森(大田区)に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。 文永8年の秋から50年ほどを経た元亨2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。 これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩に応えて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史) なお 一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。 当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。 令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。HPより |
年末にお参りしたので右側に見えるのは露店でしょうかお正月も賑わったことでしょう。
御朱印で有名な神社ですので混んでるかなと思いましたが、この日は比較的空いてました。
手水舎は綺麗に花が浮かんでました。
白蛇辨財天社/夢巳橋
かつてこの地に住んでいた白蛇が地元の人の夢枕に現れたことから、社殿横には弁天社の祠があります。白蛇様と龍神様をお祀りしていることから、巳が辰(身が立つ)=立身出世のご神徳があるといわれています。
蛇窪龍神社
この地で1000年以上の歴史があると伝わる蛇窪の守護神。7匹の白蛇と全長8mの白龍は神様の使いである白蛇が、8匹目で白龍になるという言い伝えを表している。
辨天池・白龍の滝・龍神の玉
白蛇は白龍になって滝を上るといわれている。龍神様の守る「龍神の玉」を白蛇清水が清めている。
至る所に白蛇様がお祀りしてたのが印象的な神社でした。己巳の日(つちのとみのひ)は60日に一度訪れる日でその日は限定御朱印が頂けるそうで長蛇の列が出来るみたいです。
お昼は戸越銀座まで歩いてこちらのお店で頂きました。
ランチタイムでしたので、Bランチを注文しました。メンチカツ・エビフライ・イカフライでした。ご馳走様です。
都営浅草線 中延駅 徒歩5分 東急大井町線 中延駅 徒歩6分 JR横須賀線 西大井駅 徒歩8分
どうもMOMOCHIです。Tweet
今回は東京湾アクアラインを通って富津海岸へツーリングに行ってきました。私自身アクアラインは初めて行くのでわくわくします。まずは海ほたるへ向かいます。
横浜から出発して首都高湾岸線で途中渋滞してましたが無事に到着しました。そして展望デッキからの眺望です。写真でよく見る光景なので見慣れてるのですが、生で見ると鳥肌が立ちましたね。
360°見渡せる大パノラマは圧巻です。この人口島を作ったのが人間って思うと凄い!
こちらに停めて海ほたるを散策しました。12月の平日ですが結構バイク停まってました。
海ほたるを満喫したので、ここから富津岬へ向かいます。行きも帰りも感じたのですが海ほたるから木更津へ向かう海上の道の風が凄かったです、この日はそんなに風は吹いてなかったのですが、海の上に作った道だけに遮るものがなく常に風が強いのでしょうね。
アクアラインを降りてから30分程で富津岬へ到着です。
複数の展望台と複雑な階層からの展望タワーはなかなか見応えあります。誰も居なかったので一番上まで登ってみました、運が良ければ富士山も見えるみたいです。
バイクって海岸に停めるだけでカッコイイですよね。
でも潮風にさらされてるので帰ったら軽く流してあげないと。
このポイントは展望台以外特に何があるわけではないですが、海を満喫するにはもってこいの場所に違いないです。
駐車場はかなり広かったです。お腹が空いてきたので何か食べる場所探してみます。
やはり房総半島に来たのだから海鮮食べないと帰れないでしょうってことで富津岬からほど近い場所にあるこちらのお店に決めました。
着いたのは14時前だったのでお客さんはちらほら居られました。
メニューが色々あり過ぎて周りの人はどんなの頼んでるのかキョロキョロしながらも決断したのが、刺身定食+あなご天ぷら付きをオーダーしました。刺身は新鮮でつぶ貝もあって色んな味が楽しめて美味しく頂きました。穴子も「サクほろっ」で口の中に溶けていきました。
腹ごしらえもしたところで、本日最後の目的地、八剱八幡神社へ向かいます。こちらのお店から15分程で到着です。
八剱八幡神社(千葉県木更津市)
木更津駅から徒歩5分の距離に鎮座してます。
鎮座地:千葉県木更津市富士見 創建:鎌倉時代初期 ご祭神:誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、足仲彦命、素戔嗚命、日本武尊 ご利益:厄除・交通安全・商売繁盛・合格祈願・学業成就 |
ご由緒
往古、このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、里の神は八剱の神として祀られていた。日本武尊は御東征の折り、相模よりこの地に船で渡ろうとするとき、暴風雨により転覆寸前となった。妃橘姫が海の怒りを鎮めるため、尊の身代わりとなり御入水あそばされた。尊は無事にお着きになり、姫の死を慎んでしばらく当社にご滞留され、後に御祭神として祀られている。また地名の由来ともなり、尊は此の地を去ることをされなかったので、「君去らず」と呼び、訛って現在の「木更津」になったと伝えられる。 源頼朝公が、鎌倉幕府に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。 天正十九年十一月、徳川家康公社領三石二斗の寄進を受け、御朱印の証を授与される。 慶長十九年、大阪冬の陣で家康方に多くの船頭が召し出され、目覚ましい働きをした。これも八剱八幡神社の加護の賜物として、当社祠官を駿府城に招き銅鳥一隻と銀子を贈り神恩に感謝した。 宝暦二年大火に依り、社殿を焼失。安永二年現社殿を再建。明治四年には郷社に列せられる。大正三年七月社殿の大改修をする。昭和五十五年の改修に際し、格天井装飾画も復元された。(頒布パンフレットより) |
木更津駅からみまち通りを通って5分くらい歩くと着きます。
拝殿でお参りします。茅の輪くぐりが設けてあります。疫病退散の願いを込めて!拝殿右奥にある神輿殿の中には、1850年に造られた「関東一の大神輿」と呼ばれる神輿が格納されているのが見えます。
カラフルな吊るし飾りの下で一息つきます。
新しく立派な参集殿兼社務所を背景に一枚
こちらの神社は源頼朝にゆかりのある神社で境内には頼朝が自ら植えたソテツがありました。
この後再びアクアラインを通って岐路に着きました。
地図
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今回は富士五湖で知られるお札のイメージになった本栖湖へツーリングに行ってきました。CBRで初めての遠出です。
この日は天気良く風もなく絶好のツーリング日和でした。やはりETC付いてると便利ですね。
ルート
自宅~新湘南バイパス~圏央道~中央自動車道~河口湖ICを降りて~国道139号~国道300号~本栖湖 片道140km 所要時間2時間
河口湖ICを降りて20~30分程走らせると県営本栖湖駐車場に到着しました。ここから国道300号で絶景ポイントに向かいます。お昼にここからほど近い店でジビエ料理(鹿肉)食べようと計画してたのですがこの日は営業してませんでした。また次回に来ようと思います。
11月下旬に来たのでこの辺りは紅葉が見頃でした。絶景ポイントに到着です。特に駐車場はなく路肩に止めて皆さん記念写真撮られてました。
富士山・本栖湖・バイク このカットをどうしても写真におさめたくて、ようやく念願が叶いました。
何枚も写真撮ったり動画撮ったりしてこの絶景を満喫しました。
この場所からすぐ近くにゆるキャン△で有名になった洪庵キャンプ場があります。今度キャンプに来ようと思います。
皆さんこの場所わかりますか? そうです、ゆるキャン△第1話で登場した、なでしこが寝ていたベンチです。先ほどの場所から歩いて行ける距離にあります。
こちらは本栖湖駐車場からの一枚です。
道の駅なるさわに寄ってみました。富士山もバッチリ見えます。こちらでお土産買って帰りました。
お腹が空いたので山菜おにぎり食べました。素朴な味で美味しかったです。
後ろに見えるのが富士山博物館です、入館無料です。
こんなピンク色の巨大な石が置いてました。
吉田うどんを食べたくて、こちらのお店に向かいました。他のお店はお昼だけ営業してるのが多くて、調べたらこちらのお店は11時~16時半まで営業されてます。
玉喜亭さんの吉田うどんは、麺はそこまで硬くなく食べやすかったです。
地図
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今回は初ソロキャンツーリングしたので感想や情報等載せておきます。
私自身初めてのキャンプで、しかも頼れるのは自分のみというソロキャンに
行ってきました。ソロキャンは半年前程から計画してまして、少しずつグッズを
集めてイメージを膨らませていました。殆どはネットで購入しました。
移動手段はバイクということで積載は出来る限りコンパクトにしようと試みたので
すが、あれもこれもで結構な荷物になった次第です。
その時の様子が下の写真です。
CBR650Rは積載が結構厳しくて、リアシートにデイトナ・ヘンリービギンズの大
容量バッグをバンドで固定してます。サイドパニア等付ければ全体的に安定するの
ですが、左右はみ出しております。荷物が大量にあるので運転にも影響して座る面
積が極端に狭くなってます。運転中も窮屈な体制で運転してるので両足の太ももが
痛かったです。何か良い方法考えないと・・・
そして今回向かった先は神奈川県相模原市・道志川沿いにある新戸キャンプ場です。
こちらのキャンプ場はソロキャンの方が多いと情報を得ていたので初ソロキャンの
場所に選びました。キャンプ場に来る道中でスーパーに寄って買い出しをしまし
た。更に荷物が増えたのでぎゅうぎゅうに何とか間に詰込みました。
キャンプ場に着くとまずは受付を済ませます。こちらは予約制ではないので
朝8時30分から先着順で受け付けしてます。なので土日ともなると結構混むみたいです。
料金はバイクだと1,800円で車でも2,000円なのでかなりの格安料金設定です。
キャンプ場の地図です、赤色の印が一応バイク用サイトとなってますが、平日とか
空いていれば他のサイトも使ってもいいとのことです。
バイクを止めてキャンプ場を歩いて一通り下見して、どこにするか決めました。
この日は平日でしたのでちらほら空いてました。
場所を決めると両隣の方に挨拶します。気持ちよく過ごすためのマナーと書かれて
いたので。そしていよいよテント設営です。キャンプのために用意したテントは
コールマンのツーリングドームLXです。このテントは2~3人用で1人だとかなり
余裕があって快適に過ごせるとのことで購入しました。前室が広くて、キャノピー
を使えば雨除け日除けになるのでこの点も気にいってます。
テントの張り方はYouTubeで何回も見たり、家でも試し張りしてきたのですんなり設営出来ました。といってもツーリングドームは簡単に設営出来ることで有名です。
愛車はテントの横に止めてます。地面が土で柔らかい場所もあるので必ずスタンドプレートも持参した方がいいです。
テントの中はこんな感じです。シュラフは冬用ではないので10月下旬だと朝晩結構寒かったですね。中は広々快適です。
テント設営も終わったのでお昼にします、うどんでも作ってみました。鍋のまま食べておいしいですね。
食後のコーヒー飲んで至福の一時を過ごします。
辺りは暗くなってきたので、晩ご飯の用意をします。メスティンでご飯を炊いて炭焼きBBQにします。
外で食べる肉は格別です。うまし!
近くのスーパーで海鮮も売ってたので買っちゃいました。食べた後は、しばらく星を眺めてぼーっとしてました。このまったり感にも癒されます。
翌朝を迎えました。良い天気で気持ちいいです。寝てる間は皆さんマナーを守って静かでした。川の流れる音が寝静まった頃気になった程度で終始環境は良かったです。
チェックアウトが10時なので、そろそろ片付けるとしますか。
帰る頃には次の方が待っていました。再び両隣の方に挨拶して岐路に着きます。
今回は焚火をしなかったので次回は念願の焚火に挑戦したいと考えております。
今回こちらのキャンプ場でお世話になったのですが、皆さんマナーを守って
自分の時間を楽しんでいられるのを見て素敵だなぁと感じました。
新戸キャンプ場 テントサイト 利用時間 8:30~翌日10:00 受付8:30~土日祝10:00~ 当日先着順で受付 料金:1,500円+500円→2,000円(車) 1,500円+300円→1,800円(バイク) 直火禁止、ペット不可、ゴミは持ち帰り 売店(薪販売)、炊事場、トイレ完備 |
アクセス
電車・バス:JR橋本駅または相模湖駅からバスで三ヶ木操車乗り換え、梶野下車すぐ
車・バイク:中央自動車道相模湖ICから約30分
ご無沙汰しております。MOMOCHIです。久しぶりに記事書いてみました。
今回は埼玉に鎮座してます川越氷川神社へお参りしました。Tweet
川越氷川神社(埼玉県川越市)
神社情報
鎮座地:埼玉県川越市宮下町2-11-3 創建:欽明天皇二年(541年) ご祭神:素盞鳴尊(すさのおのみこと)脚摩乳命(あしなづちのみこと) 手摩乳命(てなづちのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと) ご利益:夫婦円満 縁結び |
川越氷川神社は今から約千五百年前、古墳時代の欽明天皇二年に創建されたと伝えられています。室町時代の長禄元(1457)年、太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬されました。 江戸時代に入ってのちも歴代の川越藩主より社殿の造営や特別の計らいを受けました。現在の本殿には緻密な彫刻が施されており、県の重要文化財となっています。 また、昔より縁結びの神様としての信仰を集め、人々のご縁を取り持ってまいりましたのは、お祀りしている五柱の神様(ご祭神)にあります。 |
縁結びで有名な神社で多くの方がひっきりなしにお参りに来られます。夏の間は風鈴が風で音色を奏でて風情ある情景を見聞きすることが出来ます。
浴衣をお召しになった方が結構いらっしゃって、お参り後に川越の街を散策するのが王道みたいです。やはり浴衣はいいですね、街が華やかになります。
1) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 東武バス上尾駅西口行きほか(埼玉医大経由)「宮下町」下車1分
2) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 東武バス神明町車庫行きほか(蔵のまち経由)「喜多町」下車徒歩5分
3) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 小江戸巡回バス「氷川神社前」下車徒歩0分
4) 東武東上線川越駅(本川越駅)からバスで 小江戸名所めぐりバス「宮下町」下車徒歩0分
5) 川越ICから車で20分
本日は、山形県上山市に鎮座してます月岡神社へ参拝します。こちらの神社は上山城の近くにあるので上山城も観覧してみました。(参拝日2020年2月21日) Tweet
月岡神社(山形県上山市)
神社情報
鎮座地:山形県上山市元城内3-23 創建:明治十一年(1878年) ご祭神:藤井松平利長公、藤井松平信一公 ご利益:縁結び、恋愛成就
|
元禄十年(一六九七)藤井松平家七代の信通公が備中庭瀬から上山城主に転封になり、信通公城内本丸に東照宮を建立し、併せて祖先の利長公・信一公の神霊を合祀し、徳川の恩義を追慕し、祖先の遺徳を仰ぎ藩士一同厚く崇敬した。明治四年(一八七一)廃藩の際、東照宮は旧藩主の上京と共に東京の松平氏邸に奉遷され、藩祖利長公・信一公の神霊は湯町に鎮座する日枝神社に奉遷された。明治十年(一八七七)旧本丸に壮麗な社殿を建立して松平家祖先の利長・信一両公の神霊を奉遷座し、報恩の誠を尽くし、永く上山の鎮守神と仰ぎ、産土の守護神として祈願すべきとの議起こり、同年六月神社の建設を願い出、同年十月許可を得て月岡神社と称した。 明治十一年九月神殿落成、同月十五日、日枝神社より奉遷座した。明治十五年五月村社に列せられ、明治四十年八月鶴脛町内に鎮座の九社を合祀。 明治四十三年五月神饌幣帛料供進神社に指定された。 大正二年稲荷神社を合祀(HPより) |
山形県の神社にお参りするのは、初めてでお城とセットで見れたので来た甲斐がありました。城内の展示も凝っていて修験者がなかなか迫力ありました。天守閣からの眺めも実に雄大さを感じました。お城のすぐ近くには足湯があります。
電車:かみのやま温泉駅から徒歩10分
こんにちはmomochiです。前回からの続きで上田から松本に移動しまして、松本城へ行ってみました。昨年の夏にも来たのですが、混んでいて城の中は見れませんでした。今回は平日ということもあり、比較的ゆったり見ることが出来ました。(2020年2月18日観覧) Tweet
松本城(長野県松本市)
五棟の建物は天守を中心に北には乾小天守を渡櫓でつなぎ東には辰巳附櫓と月見櫓を付属させたいわゆる連結複合式と呼ばれる独特の構成で、その外壁は各重とも白漆喰の大壁で腰には黒漆塗りの下見板を張ってある。月見櫓は天守建築には珍しい殿舎風造りで三方に朱塗りの回縁をめぐらしてある。 |
松本城はもと深志城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。そのころすでに今の二の丸東側には市町が形成されていたが、西方一帯は沼地であった。本格的な近世城づくいが始まったのは1580年代で、城郭と城下町一体の都市計画を推進したのは、豊臣大名としてこの地に入った石川氏である。天守を建てたのは2代康長の時で1593~94年と推定される。
3重の水堀と塁を巡らして郭の縄張りを行い、本丸と二の丸を内郭とし三の丸を外郭とした。この広さはおよそ39万㎡で、内郭には天守、御殿、蔵など城主と藩の施設を置き外郭は城主の親衛隊である上級家臣の屋敷地とした。総延長3.5キロの塁上には透き間なく土塀をかけ、前面は完全囲繞の水堀で、厳重な城門を構える虎口(枡形と馬出し)だけが場内への通路である。
城外は南から北へ通る善光寺街道に沿って城下町を割り、その東側に寺社を配置した。城下の町筋は格子状のものより鍵の手やT字形交差が多い。居住区分は厳格で士と、町人の混住はまったくなく、士や敷地は木戸の内と外に分けて中級と軽輩の居住区とし、町人地は親町3町、枝町10町、24小路にランク付けして、身分と職業によって住まわせた。
アクセス:電車:JR篠ノ井線「松本駅」下車 徒歩約20分
観覧時間:8:30~17:00(最終入場は16:30まで)
観覧料金:大人700円、小中学生300円、小学生未満は無料
開場日:年末(12/29~12/31)を除き無休