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きままに伊豆ツーリング~CBR650R~

どうもMOMOCHIです。本日は伊豆へツーリングに行った様子をお伝えします。天気も良く気持ちの良い旅になりました。 

 

1日目~横浜から出発~

洗車してきれいになった愛車で伊豆へ出発です。CBR650Rは積載性があまりないので備え付けのバッグの上にデイバッグを載せて網で固定しております。

いや~絶好のツーリング日和です。風も心地よいですね。
135号線沿いの真鶴パーキングエリアで小休憩にします。にしても天気いいなぁ、海がキラキラッしてます。
私的に海岸線を走るのが大好きで爽快感MAXになります。

1.走り湯

 

本日最初の目的地に到着しました。
熱海ビーチライン脇にある走り湯に到着
こちらの走り湯は1300年前に発見され、日本三大古泉の一つであります。規模は小さいのですが、今回の旅で一番印象深い場所になりました。
走り湯と役行者  階段を上ると何やら石像が案内版には次のように書かれてます。伊豆山の海岸の洞穴から熱いお湯が海に向って流れ出ているのを知っていますか。 昔は、もっともっと勢いよく、走るように流れでていました。 それで「走り湯」と名づけられています。 この「走り湯」には次のような話が伝わっています。 昔、文武天皇のころ(西暦699年)役行者と言う仙人がいました。 この仙人は鬼神を使って、水をくんだり、薪を割らせたり、掃除をさせたりする事ができました。 そんな力のあらう役行者は、しだいにわがままになり都で自分勝手の振る舞いをして、都を騒がせましたので、捕らえられて伊豆の大島に流されました。 その役行者がある日、大島から伊豆の方を眺めていますと、伊豆の山の上に五つの色をした雲が出ているのを見つけました。 不思議に思った役行者は、波の上を渡って来てこの「走り湯」を見つけたという事です。 役行者は、この「走り湯」の近くに草で小さな家を作り、滝のように流れるお湯にうたれながら、さらに修行して立派な仙人になったといる事です。 役行者が罪を許されて都に帰った後も日本中の修験者(山にこもって修行する人)がここに集まって、修業をしたので、「走り湯」の名前は広く知れわたりました。 (あたみの民話と伝説、むかしこんなはなしがあったとさ)より 
走り湯神社
こじんまりとした佇まいです。
ちょうど走り湯の真上に位置します。
走り湯温泉入口
日本では珍しい横穴式の源泉
中はこのように湯気がもくもく立ち込めております。中は体感70°程あるかと思われ自然のサウナでした。

写真ではわかりづらいので動画UPしました。ボコボコと源泉が勢いよく湧き出してます。なかなかの迫力で一人ワーワー騒ぎながら楽しみました。一度来る価値ある場所ですので近くに立ち寄った際はぜひ体験してみてください。

11月なのに汗だくで次の目的地、伊豆山神社へ移動します。

 


2.伊豆山神社


鎮座地:静岡県熱海市伊豆山708-1

創建:孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)ごろと伝わりますので、かなり古いです。承和三年(836)現在地へ遷座

ご祭神:天忍穂耳尊(アメノオシホミミノコミコト)、拷幡千千姫尊(タクハタチヂヒメノミコト)、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)    

ご利益:縁結び、強運守護、福徳和合

ご由緒

関八州総鎮護伊豆山神社は、かつて伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現と称され、略して伊豆山、走湯山と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。
 祭祀の創まりは遥か上古に遡り、本殿に祀られる木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。
 その神威の源は、涌き出づる霊湯「走り湯」です。走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
 神威を被るところは、沖合にうかぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」のひとつとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
 平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てる時の起請文には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。
 そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金塊和歌集』に収められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する伊豆山歌会に受け継がれています。
 明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆることなく、大正三年一月十三日には皇太子であられた昭和天皇、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王殿下が御参拝になられました。
 平成二十三年九月十九日には、新たに『走湯山秘訣絵巻』が奉納されました。関八州総鎮護伊豆山神社の歴史は、東日本大震災からの復興ひいては日本と世界の平和の歩みを支え、未来永劫に築かれていきます。(境内の掲示板より)

伊豆山神社に到着 走り湯からぐるっとまわればすぐ着きます 坂の上にも駐車場があり拝殿がすぐ近くにあるのですが、下から石段を上っていきたいので下に止めました。
伊豆山神社は先ほどの走り湯から参道が始まり、ほとんど階段で本殿まで837段あるみたいです。さすがに一番下からはしんどいなぁ。
一の鳥居 下の駐車場からは、本殿まで170段の階段ですので全然苦にはならなかったです。
二の鳥居
石段を上ると本殿が見えてきました。
手水舎 実際に手を清められます。
赤白二龍はご祭神 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の随神であり、 赤は火を表し、白は水を表しており、火と水の力でお湯(温泉)を生み出す守護神であると書かれてます。
こういう案内図があると分かりやすく助かります。
伊豆山神社の本殿 
本殿中の方も朱く施されてます。
頼朝・政子腰掛け石 自由に座ることが出来、実際座ってみて古に思いを馳せる次第であります。
立派な梛(なぎ)です。御神木の一つと書かれてます。
ハート型のこころむすび 縁結びに関係するパワースポットが随所にあるのでこの日は若い方が多く参拝されてるようでした。
光り石 こちらも自由に座ったり出来ます。
源頼朝が源氏の再興を祈願したことから、源氏の守護神として知られ、また、その頼朝と北条政子がこの場所で忍び逢い結ばれたことから、縁結びの神様としても親しまれています。
この日は秋晴れで紅葉が輝いておりました。
境内から初島が見えます。
こちらの社務所で御朱印頂けます。
書き置きとなります。両方常時頂ける御朱印です。

3.昼食(魚がし鮨)

お腹も空いてきたので魚がし鮨 伊豆の国大仁店でお昼にします。

板長おまかせランチ カニ汁と茶碗蒸しが付いています。流れ鮨って何だろうと思っていたら回転すしみたいにレーンがあってそこから各テーブルに着いてお盆毎スライドして届くシステムでした。

4.修善寺(寄り道)

西伊豆へ向かう途中に修善寺を通るので寄ってみました。
人気の温泉地ですので平日でも賑わっています。
独鈷の湯 時間があれば足湯に浸かりたかったなぁ
修善寺温泉街はいつ来ても雰囲気ある場所です。

5.だるま山高原展望台

だるま山高原展望台に到着 天気がいい日はここから富士山を見ることが出来ます。
駿河湾越しの雄大な富士山を見ることが出来ました。
うっすら雲がかかってますが、これだけ見えれば十分です。

6.西伊豆スカイライン

この旅の楽しみの一つが西伊豆スカイラインを走ることです。
西伊豆スカイラインは伊豆市の戸田峠から土肥峠まで全長10.8km 標高は900m前後を走る峠道です。遮るものが少ないので駿河湾や富士山が見え交通量もほとんど他には走っていませんでした。一人ワインディングロードは最高でした。

いや~こんだけ誰も通らないと自分専用道路でしたよ。

この動画辺りが1番標高の高い場所になります。これで有料道路じゃないというのがいいですね。

7.西天城高原

西天城高原 こちらの夕陽がまぶしく輝いてたのでバイク止めて一休みします。
本当にここに来るまでほとんど誰にも会いませんでした。それだけ交通量が極めて少ない道です。
夕陽を浴びるCBRも絵になります。ちなみに今回の動画はinsta360 one x2で撮影しております。とりあえず録画しておけば360°撮影してくれるので後から編集で好きなアングルで保存出来ます。
ヘルメットを取り、ぼんやり夕陽を眺めてました。

8.今晩の宿

本日お世話になる宿に到着です。西伊豆クリスタルビューホテル
こちらのホテルは駐車場も広く止めやすかったです。
さらにこちらのホテルからは夕陽がきれいに見ることが出来ます。この景色癒される~ この後温泉に入って美味しいもの食べてゆっくり体を休めて次の日に備えます。

9.翌日朝

 

翌朝 今日も天気が良くいい一日になりそうです。ちなみにこちらのホテルは夏はプールも使用可能みたいです。ヤシの実もあってちょっとした南国気分を味わえるのも魅力的です。さてこれから黄金崎の方へ向かいます。
この日も風もほとんどなく快適に走行出来ました。
案内板が見えてきました。黄金崎はこの先右方向ですね。

 

10.黄金崎(馬ロック)

ホテルから15分程で到着しました。駐車場も無料でトイレとお店もあります。
馬ロック 岩の形が馬に見えます。断崖絶壁の景勝地なかなかの見応えですので、ぜひ一度見てください。
近くのお店にはなでしこパネル 夕陽日本一堂ヶ島温泉郷 ゆるキャン△の11話で早朝リンちゃんが黄金崎の馬ロックを見に行ってましたね。
色んなステッカーが売ってます。
さて次の目的地、堂ヶ島へ向かいます。黄金崎から9km15分で着きます。

11.堂ヶ島マリン(洞窟巡り)

チケット売り場で券を購入してから写真の乗り場へ行きます。頻繁に巡行してるのですぐに乗れると思います。大人1,300円 おすすめの乗船位置は一番後ろのデッキがいいです、360°見渡すことが出来るので。今回運よく座ることができ満喫出来ました。あとデッキに座る人は備え付けのライフジャケット着用になります。

舟から見る三四郎島 見る角度で3つにも4つにも島が見えることからこの名が付いたみたいです。この時期は潮位が高くトンボロは見えませんでした。

絶壁続きで見応えあります。

波しぶきをあげながら、こちらの洞窟を舟で入っていきます。

こんな狭い洞窟内を舟で入っていくわけですから相当熟練な運転が要求されます。

透き通って見えます

天窓洞 洞窟内に天井から光を降り注ぐ光景は神秘的で感動しました。

船上から上を見上げると晴れ晴れとした景色が現れます。

自然の光が海面に反射して青く見えるから青の洞窟と呼ばれるのだと思います。老若男女問わず楽しめると思いますので遊覧船はおすすめですよ。

12.土肥金山

堂ヶ島マリンからこちら土肥金山まで約20km30分程で着きます。
土肥金山 観光坑道の見学や巨大金塊に触れてみたり、砂金採り体験を楽しめる金のテーマパークとなっております。今回は砂金取りも体験したいので入場券+砂金取り体験セットを購入しました。別々だと1,750円ですがセットだと1,400円で購入可能です。

侍姿の門番人形が「いらっしゃいませ ようこそ土肥金山へ」といきなり喋りだしびっくりしましたよ。

金鉱石
順路に沿って進むと途中きれいな花が植えてます。
金山だけあって金色の鯉がたくさん泳いでます。

坑内入口 

中はきれいに整備されて展示物も見やすかったです。

坑道内には金の鳥居なるものがありました。
土肥金山の生産量は金40トン、銀400トンを産出 切羽が深くなると温泉や地下水が湧出するため、水の汲み上げに水替人足が多数使われた。

坑内は結構天井が低い場所もあるので気をつけながら進んで行きます。

坑内で働く人は十日間を基準としていてそれを一十日(ひととおか)と呼んで出鉱高を計算したり大工の稼ぎや人足賃などを支払った。坑内はゆっくり回ることが出来るので金山の歴史を学ぶことが出来ます。

鉱山トンネルから出ると目の前に資料館があります。

資料館の中は様々な物が展示してあって面白いです。

千石舟 江戸時代に使われていた大型商船で、土肥金山の金銀を運搬したりしていました。実際の1/8サイズ

千両箱がどれだけ重いのか体験出来ます。重量は22kg ずっしり重かった~

12.5kgの金塊

250kgの巨大金塊が展示していて実際に小さな窓に手を入れて触ることが出来ます。

この日の価格は22億1,100万円でした。ギネスブックにも認定されてるみたいですね。すぐ近くに警備員の方が常時見守っております。

金の茶釜や金のしゃちほこが展示してあります。
さてお次は砂金取り体験をしました。

まずは写真の小瓶を渡され、それにいっぱいまで水を入れ置いておきます。
次にパンニングと呼ばれる砂金取り専用の皿で手前に砂をすくい上げます。
そして皿の左右を持って上下に車のハンドルを運転するような感じで何回も揺らしていきます。この作業が大事みたいで金が下にたまっていくとのこと。
くぼんでいる方を上にして余分な砂を落としていきます。このときくぼみに金があれば引っ掛かり残ります。お分かりになるでしょうか、写真上辺りに小さく金があります。この金をさきほどの小瓶に入れます。あとはこの繰り返しで一度に2個取れる時もあれば何も取れないときもあります。実際5~6回すくって1個取れるような感じでした。
結果は体験時間30分で7個でした。途中体制がしんどくて腕が悲鳴をあげていたので休憩しながら取りました。
こちらの建物でお土産買ったり・お食事出来ます。
ディスプレイに金箔のカステラが一番人気みたいなので購入してみました。

もっと金箔がのってるかなと期待しましたが控えめでした。
肝心の味はカステラ自体美味しかったです。金箔って味しないですもんね。

駐車場に戻ってくると来た時は2台しか止まってなかったのですが、ずらっとライダーさんのバイクがありました。何か落ち着きます。このあと安全運転で岐路に着きました。最後まで読んで頂きありがとうございます。

きままにほったらかしキャンプ場へ

どうもMOMOCHIです。今回は山梨県にある「ほったらかしキャンプ場」へ行ってきました。こちらのキャンプ場はweb予約のみ受け付けていて、人気のキャンプ場で3カ月前から予約出来るのですが、朝受付時間になってサイトにつながったり、途切れたりを繰り返し30分かけてようやく予約できたところです。

キャンプ場は標高700mの場所にあり、高台から富士山が見えるロケーションのいい場所です。すぐ近くに「ほったらかし温泉」があるのでこちらの温泉からも富士山を眺めながら入浴することが出来ます。

まずはスーパー(ベイシア山梨店)で買い出しをします。駐車場が広く品揃えも豊富で助かります。

スーパーからすぐ近くにある、吉田うどんのたけ川さんで昼食にします。
肉うどんを注文 馬肉、キャベツ、ねぎが入っており、つゆは魚介系の出汁に醤油と味噌を合わせてあって、麺は少しかためでしたが、とても美味しかったです。支払いはうどんが来たのと同時に料金を払いました。腹ごしらえも済んだことで、ここからキャンプ場へ向かいます。
ほったらかしキャンプ場に到着です。13時チェックイン、翌朝11時迄がチェックアウトの時間となっております。地面に赤土が敷き詰めており雰囲気があります。受付を済ませて予約したサイトへ移動します。
今回予約した区画サイトは、受付からすぐ近くにあるので迷うことなく行けると思います。この道をまっすぐ進むと下の写真の別れ道に辿り着きます。
区画サイトは左側の道を進んで行きます。ちなみに右側の坂を登ってさらに上に行くと、どこでもドアらしき扉が見えてきます。
区画サイト1に到着です。大きさは9m×7mあるので車を右端に止めても余裕がある感じでした。+1,000円払えばコンセントも使用可能です。目の前に富士山がそびえたってるはずですが、終始雲に覆われて見えなったです。でも甲府盆地を望む景色は最高でした。あと洗い場でお湯がでるのも嬉しかったです。
まずはワンポールテント&タープを設営していきます。今回からテントとタープを連結する△ハットを使うことにしました。
ポールを立てるのは前の一箇所だけなので比較的楽にタープを設営出来るのでおすすめです。
テントの中は、二股化しております。これによって空間を自由に使えるのでワンポールテントには今後もガンガン使っていきます。地面は敷石で、ペグも難なく埋まってくれました。
設営も終わって、タープ下から甲府盆地の景色を満喫です。
晩ご飯まで時間あったので、歩いて近くのほったらかし温泉へ行ってきます。ほったらかし温泉には男女2つの湯があって、こっちの湯とあっちの湯があります。あっちの湯の方が広いということであっちの湯に入りました。人気の温泉なので平日でも結構な人が入浴されてました。ぬるめで長く入れる温泉という印象です。もちろん景色は良かったです。(富士山は厚い雲で相変わらず見えなったけど)
こちらの階段を降りたところにあっちの湯があります。
滞在中こんな景色ばかりで雲よどっかいけと念じておりました。
こちらの売店では「温玉あげ」なるものが美味しいという情報を得て食してみました。
いわゆる中はトロッ、外はカリッとしていて美味しくペロッと食べちゃいました。
せっかくなので、入浴タオル買ってみました。「あっち、こっち、どっち、そっち」と面白い掛け合いです。
夜はBBQした後、焚き火でまったり時間を満喫 この時期だとだいぶ蚊が少ないと思いきやそこそこいたので、慌てて売店で虫よけスプレーを買いに行きました。
消灯の22時近くまで焚き火しながら夜景を眺めていました。
翌朝天気が良く富士山が見えるかなと期待していましたが、変わらず雲に覆われて見えません。ホットサンドメーカーを使って朝食にします。
チェックアウトまで時間があったので、キャンプ場内をぐるっと一周してみました。やはり人気のキャンプ場なのでどこのサイトも埋まっておりそれぞれ思い思いに楽しむ姿が見られました。この日は周りの環境もよく気持ちよくキャンプが出来ました。また来たいと思います。次こそは富士山見れますように。
最後にこちらが「どこでもドア」 なんでこんなところに、管理者の遊び心でしょうか。


河口浅間神社(山梨県南都留郡河口湖町)


神社情報

鎮座地:山梨県南都留郡富士河口湖町河口1番地

創建:貞観6年(864年)

ご祭神:浅間大神(木花開耶姫命・このはなさくやひめのみこと)

ご利益:子孫繁栄、縁結び

ご由緒

人皇第56代清和天皇の御字、貞観6年(864年)5月富士山大噴火の事あり、富士山北面に在った大湖、剗ノ海(現青木ヶ原流域)埋没す。この様な大噴火の為、時の住民は甚大な災害を被く。此の事、甲斐の国司、橘ノ末茂公より朝廷に奏上、翌貞観7年12月9日丙辰の勅命により、富士山の神、浅間明神を此の地に奉斎、擬の大領 無位伴直真貞公を祝に、同郡の人伴秋吉公を禰宜に任じ、富士山噴火の鎮祭を行う。これ当神社の御創祀である。延喜の制により名神大社に列せられる。平成25年6月26日、富士山世界遺産の構成資産となる。

 

キャンプ場を後にして、次は御朱印を頂きに行きました。富士河口湖町にあります河口浅間神社へお参りします。道路を挟んで向かい側に駐車場があります。
立派な鳥居です。杉並木を通って拝殿へ向かいます。
昨年までは手水舎は使用出来なくなってるところが多かったですが、ここ最近再開してるように思います。
随神門
拝殿でお参りします。こちらの神社には、富士山の噴火を鎮めるために行われてきた伝統芸能「稚児の舞」があり国の重要無形民俗に指定されております。緋色の袴姿の少女が舞手となり、右手に鈴、左手に御幣(ごへい)や扇などの採物を持って舞います。その動きは、摺(す)り足を基本として、舞場の四方(しほう)を意識したものです。現在も毎年7月28日の太々御神楽祭(だいだいおかぐらさい)で少女たちによって奉舞されます。
美麗石(ひいら石) 浅間明神を祀った古代祭祀の石閣の残欠で石を以って造営された祭祀は彩り美麗であったと言われる
河口浅間神社の七本杉 県指定の天然記念物になっており、最大の木は根廻り30m余、樹高47m以上になります。
大きな木がそこら中にそびえたっております。杉、檜、栂、欅、松等、100本余りがあるとのことです。荘厳な佇まいでした。
こちらの社務所で御朱印頂けます。
直書きの御朱印頂きました。初穂料は300円 富士山の絵が素敵です。
遥拝所 天空の鳥居 浅間神社の裏山を登ったところにこちらの遥拝所があります。歩いて登ると30分程かかると思います。私は車で10分程で着きました。道が狭いのですれ違う際は気をつけたほうがいいです。眺望はこれまた富士山が見えれば・・・ でも近くにキャンプ場もあって河口湖を見下ろす景色は格別でした。                                

浅間神社は富士山をご神体として、小高い丘の上から霊峰・富士を遥拝する信仰から生まれました。古くは「浅間」を「せんげん」ではなく、「あさま」と読んだことに由来します。 富士と人との係りは、遙拝、修験、登拝と続きます。 当神社は、遙拝、修験、登拝を有する唯一の神社です。 富士は怖ろしく美しい山で、人は遥か彼方より 仰ぎみる神の山でした。 当神社から母の白滝に向かう道中の宮司個人所有の山麓斜面に桜を植え「遥拝」「修験」「登拝」の富士山信仰の三形態を体験できる場所を備えたいと考えております。(HPより)

神社を後にして河口湖の北側に位置する大石公園に行ってみました。夏にはラベンダーが咲き富士山とのコラボ写真はよくポスターにもなったりしております。

この時期はコキアが咲いていてまん丸かわいい表情が特徴的でした。近年人気があるみたいですね。

最後に富士山の頂だけ見ることが出来ました。

富士山の見えるカフェで巨峰ソフトクリームが売ってたので食べてみたらめっちゃ美味しかったですぜひご賞味してください。

 

きままに根津神社、湯島天満宮へお参りします

どうもMOMOCHIです。本日は東京都文京区に鎮座してます根津神社と湯島天満宮へお参りしてきました。


根津神社(東京都文京区)


神社情報

鎮座地:東京都文京区根津1-28-9

創建:年代は不詳 古くより千駄木に創祀

ご祭神:須佐之男命大山咋命誉田別命

ご利益:縁結び、願望成就、厄除け、邪気払い

ご由緒

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。

江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。

明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。(HPより)

旧根津須賀町

もと、甲府宰相徳川綱重の屋敷があった。綱重の子の綱豊がここで生まれ、団子坂上にあった根津神社が産土神(生まれた土地の神)であった。綱豊は綱吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に移った。

綱吉は、宝永3年(1706)根津神社を甲府屋敷の跡に移し、華麗な社殿を造営した。また町屋が開かれ、根津社地門前と称した。明治2年、町名を根津須賀町とした。根津の名の由来には、ねづみのいわれ、台地の根にあって舟の泊まるところなどの各説がある。須賀は、根津神社の祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、出雲の須賀に宮居を定め、わが心須賀須賀須といわれたによると。(境内掲示板より)

 

表参道口から境内に入っていきます。境内はつつじの名所で4月中旬から5月上旬まで咲き誇ります。
神橋を通って楼門に向かいます。都内で江戸時代の楼門が残るのは根津神社だけとなります。
唐門を通り社殿が見えます。
根津神社の拝殿になります。
拝殿・本殿ともに権現造となり国の重要文化財となります。
拝殿前には願掛けカヤの木があり、縁結び、願望成就のスポットとなります。
こちらの授与所で御朱印頂けます。書置きとなります。
初穂料は500円になります。

お腹も空いたので、餃子市場根津店で昼食にします。
最初は根津神社参拝前に谷中銀座で食べ歩きでもしようと思って向かったのですが、平日だからか閉まっている店が多くて空振りに終わりました。少し残念
結構歩いたので、不忍池で休憩にします。この後湯島天満宮へ向かいます。

 


湯島天満宮(東京都文京区)


神社情報

鎮座地:東京都文京区湯島3-30-1

創建:雄略天皇二年(458年)

ご祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)

ご利益:学業・芸事上達、勝運・強運アップ

ご由緒

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。

 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。(HPより)

 

 

貫禄のある銅製の明神鳥居(都指定文化財)です。都内に現存する最も古い鋳造の鳥居となります。境内に至るまでに男坂、女坂、夫婦坂と3つの坂が存在します。女坂の方は歌川広重の名所江戸百景「湯しま天神坂上眺望」に描かれています。高台から不忍池方向を見る景色は素晴らしかったことでしょう。
手水舎と撫で牛 天満宮と呼ばれる神社にはよくある光景です。自分の体の悪いところと同じ箇所を撫でるとよくなると言われます。
湯島天神は通称の名前で、正式には平成12年に湯島天満宮と定められました。
社殿は1995年に総檜造りで改築されました。
拝殿に向かって左側に立派な御神木があります。写真奥に見えます社務所で御朱印頂けます。
梅園・筆塚 梅の季節になると見事に咲き誇ります。筆塚は使い古した筆を供養する場所です。庭園は見応えあり、椅子に座ってほっと一息つける場所でした。
直書きで御朱印頂けました。夏詣の印も涼しげです。

この後上野駅まで歩いてアメ横をぶらっと見て帰りました。この日は15,000歩、歩きました、流石に真夏にこんなに歩くと疲れました、へとへとです。都会にある神社は突然ワープしたかのような所が多いのが魅力的です。周りは高層ビルでその隣に緑がたくさんある、そんな光景が東京には数多くあります。

 

 

新倉山富士浅間公園~忠霊塔~桜~笛吹市~桃の花 ツーリング

こんにちはMOMOCHIです。

今回は以前から一度行ってみたかった山梨県にある新倉山浅間公園から見る絶景スポットにツーリングに行ってきました。後半は笛吹市の桃の花を見てきました。いや~最高でした!


まずは小室浅間神社を目指します。この日は穏やかな天気で富士吉田の桜が見頃と聞いて馳せ参じた次第です。

小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)

鎮座地:山梨県富士吉田市下吉田3-32-18

創建:大同二年(西暦807年)

ご祭神:木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

ご利益:五穀豊穣、縁結び、鎮火防災、金運隆昌

 

桜咲くトンネルの参道を歩いて拝殿へ向かいます。
途中ハート形の桜の木があります。木花咲耶姫様が見守る参道に美しさの代名詞として使われれる桜の木にハートの瘤が現れた事を御縁深く思い、縁結びの御神木として篤くお守りされています。
まさにハートの形でした!注連縄を張ることでより一層ご利益ありそうです。
入山川にかかる赤い浅間橋
こちらの神社は秋に流鏑馬を行い、蹄の跡で吉凶を占うという変わった神事があるみたいです。
富士山を模した手水舎で清めます。
拝殿
拝殿裏には富士山噴火当時の溶岩流の一部が残っています。
神馬舎
神馬舎 白の神馬がいます。馬がいる神社を参拝するのは生涯初めてだと思います。
終始落ち着いた雰囲気で癒されます。
駐車場の入り口が少し迷うかもと情報ありましたが、すぐに分かりました。
最初桜の木の下に駐輪していたのですが、結婚式の写真を撮りたいので移動お願いしますとこちらに停めました
小室浅間神社の御朱印です。今では貴重な直書きして頂きました。
富士急行 下吉田駅にはトーマス車両が展示してあるのを見つつ展望デッキへ向かいます。
表参道になります。こちらから階段をのぼって展望デッキへと続いてます。
ここから398段上ります。急な階段ではないのでそんなにきつくなく上れました。
新倉富士浅間神社の鳥居から富士山を眺めます。いい眺めです。
展望デッキまで少し前の場所から一枚 多くの方がこちらから写真撮ってました。
富士山・忠霊塔・桜 この景色をずっと前から見たかったので念願叶いました。
忠霊塔と桜の木が一体になってる感じでした。

 

新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)

鎮座地:〒403-0031 山梨県富士吉田市浅間2-4-1

創建:慶雲三年(西暦705年)

ご祭神:

木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)

大山祗命 (おおやまづみのみこと)

瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)

ご利益:厄除け、家庭円満

 

正面に見えるのが拝殿となります。山中に建つ荘厳な佇まいです。
展望デッキからの帰り道、多くの方が立ち寄られてお参りしてました。
新倉山富士浅間神社の御朱印です。書置きになります。

~桃畑がある笛吹市へ移動~

富士吉田から約20~30分の距離で笛吹市春日居町に移動しました。ピーチライン沿いの桃畑は見渡す限り桃の花一色でした。
桃の生産量日本一を誇る笛吹市 まさに桃源郷の世界に居る感覚でした。
古来から桃は、邪悪な物から厄をはね返して災いから守るといわれてます。
古事記にはイザナギノミコトが黄泉の国へ行き、帰る際に桃の実を投げて化け物たちを蹴散らしたという話は有名です。 また桃の木で作られた櫛は魔除けになると言われており、昔は女性に桃の木で作られた櫛を贈る習慣がありました。
京都の晴明神社に厄除け桃があるのですが、毎回参拝するたびに、桃に触れて厄を落としてます。筆者は家の庭木にも桃の木を植えておりまして生粋の桃好きであります。
あれこれ桃の魔除けについて書きましたが、何といっても桃の花は華やかな中にも凛とした表情が備わっていて魅かれる果樹です。
昼食は春日居町にあるウエストマウンテンさんで頂きました。西部劇に出てきそうな外観です。
店内はウッド調で落ち着いた雰囲気でした。中央に薪ストーブがあります。
訪れた時期が端午の節句に近かったので、奥の方に鯉のぼりと甲冑が展示してありました。
焼きカレー(シーフード入り)を注文しました。
喉が渇いてたのでクリームソーダも
焼きカレーはなかなか食べ応えありました。ご馳走様でした。
薪がたくさん積んであります。この薪を店内の薪ストーブに使用するのでしょうね。本日は桜と桃の花を満喫した一日でした。明日からも頑張ろうっと。

きままに蛇窪神社へお参りします

どうもMOMOCHIです。今回は東京都品川区に鎮座してます蛇窪神社へお参りして来ました。


御朱印直書きして頂きました。白蛇と白龍のはんこの間に蛇窪大明神 全体のバランスが整っております。


蛇窪神社(東京都品川区)


 


1.神社情報

神社名:蛇窪神社(通称)   天祖神社(正式名称)

鎮座地:東京都品川区二葉

創建:鎌倉時代 1323年頃

ご祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)天児屋根命(あめのこやねのみこと)応神天皇(おうじんてんのう)。他境内社の神様

この一帯の地域が「蛇窪(へびくぼ)」と呼ばれていたことから、そのすべての神様を総称して「蛇窪大明神」と呼ばれてます。

ご利益:良縁 財運隆昌 病気平癒 心身清浄

ご由緒

文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。
    その後、時千代は、法圓上人(ほうえんしょうにん)と称して大森(大田区)に厳正寺(ごんしょうじ)を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に居住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。
    文永8年の秋から50年ほどを経た元亨2年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
    これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩に応えて祀りました。これが現在の蛇窪神社の縁起とされています。(荏原区史)
なお 一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。 
当社の旧社名は神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。
令和元年5月1日より、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して、神社名の問い合わせの多い別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。HPより

 

2.境内の様子

 

年末にお参りしたので右側に見えるのは露店でしょうかお正月も賑わったことでしょう。

御朱印で有名な神社ですので混んでるかなと思いましたが、この日は比較的空いてました。

手水舎は綺麗に花が浮かんでました。

白蛇辨財天社/夢巳橋

かつてこの地に住んでいた白蛇が地元の人の夢枕に現れたことから、社殿横には弁天社の祠があります。白蛇様と龍神様をお祀りしていることから、巳が辰(身が立つ)=立身出世のご神徳があるといわれています。

 

 

蛇窪龍神社

この地で1000年以上の歴史があると伝わる蛇窪の守護神。7匹の白蛇と全長8mの白龍は神様の使いである白蛇が、8匹目で白龍になるという言い伝えを表している。

 

 

辨天池・白龍の滝・龍神の玉

白蛇は白龍になって滝を上るといわれている。龍神様の守る「龍神の玉」を白蛇清水が清めている。

 

 

至る所に白蛇様がお祀りしてたのが印象的な神社でした。己巳の日(つちのとみのひ)は60日に一度訪れる日でその日は限定御朱印が頂けるそうで長蛇の列が出来るみたいです。

3.昼食

お昼は戸越銀座まで歩いてこちらのお店で頂きました。

ランチタイムでしたので、Bランチを注文しました。メンチカツ・エビフライ・イカフライでした。ご馳走様です。

4.アクセス

都営浅草線 中延駅 徒歩5分 東急大井町線 中延駅 徒歩6分 JR横須賀線 西大井駅 徒歩8分

きままに富津海岸へツーリング~海ほたる~八剱八幡神社で御朱印

どうもMOMOCHIです。

今回は東京湾アクアラインを通って富津海岸へツーリングに行ってきました。私自身アクアラインは初めて行くのでわくわくします。まずは海ほたるへ向かいます。

横浜から出発して首都高湾岸線で途中渋滞してましたが無事に到着しました。そして展望デッキからの眺望です。写真でよく見る光景なので見慣れてるのですが、生で見ると鳥肌が立ちましたね。

360°見渡せる大パノラマは圧巻です。この人口島を作ったのが人間って思うと凄い!

こちらに停めて海ほたるを散策しました。12月の平日ですが結構バイク停まってました。

海ほたるを満喫したので、ここから富津岬へ向かいます。行きも帰りも感じたのですが海ほたるから木更津へ向かう海上の道の風が凄かったです、この日はそんなに風は吹いてなかったのですが、海の上に作った道だけに遮るものがなく常に風が強いのでしょうね。

アクアラインを降りてから30分程で富津岬へ到着です。

複数の展望台と複雑な階層からの展望タワーはなかなか見応えあります。誰も居なかったので一番上まで登ってみました、運が良ければ富士山も見えるみたいです。

バイクって海岸に停めるだけでカッコイイですよね。

でも潮風にさらされてるので帰ったら軽く流してあげないと。

このポイントは展望台以外特に何があるわけではないですが、海を満喫するにはもってこいの場所に違いないです。

駐車場はかなり広かったです。お腹が空いてきたので何か食べる場所探してみます。

やはり房総半島に来たのだから海鮮食べないと帰れないでしょうってことで富津岬からほど近い場所にあるこちらのお店に決めました。

着いたのは14時前だったのでお客さんはちらほら居られました。

メニューが色々あり過ぎて周りの人はどんなの頼んでるのかキョロキョロしながらも決断したのが、刺身定食+あなご天ぷら付きをオーダーしました。刺身は新鮮でつぶ貝もあって色んな味が楽しめて美味しく頂きました。穴子も「サクほろっ」で口の中に溶けていきました。

腹ごしらえもしたところで、本日最後の目的地、八剱八幡神社へ向かいます。こちらのお店から15分程で到着です。


八剱八幡神社(千葉県木更津市)


木更津駅から徒歩5分の距離に鎮座してます。


鎮座地:千葉県木更津市富士見

創建:鎌倉時代初期

ご祭神:誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、足仲彦命、素戔嗚命、日本武尊

ご利益:厄除・交通安全・商売繁盛・合格祈願・学業成就

ご由緒

往古、このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、里の神は八剱の神として祀られていた。日本武尊は御東征の折り、相模よりこの地に船で渡ろうとするとき、暴風雨により転覆寸前となった。妃橘姫が海の怒りを鎮めるため、尊の身代わりとなり御入水あそばされた。尊は無事にお着きになり、姫の死を慎んでしばらく当社にご滞留され、後に御祭神として祀られている。また地名の由来ともなり、尊は此の地を去ることをされなかったので、「君去らず」と呼び、訛って現在の「木更津」になったと伝えられる。

源頼朝公が、鎌倉幕府に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。

天正十九年十一月、徳川家康公社領三石二斗の寄進を受け、御朱印の証を授与される。

慶長十九年、大阪冬の陣で家康方に多くの船頭が召し出され、目覚ましい働きをした。これも八剱八幡神社の加護の賜物として、当社祠官を駿府城に招き銅鳥一隻と銀子を贈り神恩に感謝した。

宝暦二年大火に依り、社殿を焼失。安永二年現社殿を再建。明治四年には郷社に列せられる。大正三年七月社殿の大改修をする。昭和五十五年の改修に際し、格天井装飾画も復元された。(頒布パンフレットより)


木更津駅からみまち通りを通って5分くらい歩くと着きます。

拝殿でお参りします。茅の輪くぐりが設けてあります。疫病退散の願いを込めて!拝殿右奥にある神輿殿の中には、1850年に造られた「関東一の大神輿」と呼ばれる神輿が格納されているのが見えます。

カラフルな吊るし飾りの下で一息つきます。

新しく立派な参集殿兼社務所を背景に一枚

こちらの神社は源頼朝にゆかりのある神社で境内には頼朝が自ら植えたソテツがありました。

この後再びアクアラインを通って岐路に着きました。

 

地図

きままにお城を見て御朱印を頂きます~松本城

こんにちはmomochiです。前回からの続きで上田から松本に移動しまして、松本城へ行ってみました。昨年の夏にも来たのですが、混んでいて城の中は見れませんでした。今回は平日ということもあり、比較的ゆったり見ることが出来ました。(2020年2月18日観覧) 

御朱印は二種類ありました、各300円 二枚セットだと500円 松本城管理事務所で購入出来ます。松本城では御城印ではなく御朱印と呼ぶそうです。
第三代城主小笠原秀政の印章「弌剣平天下」が押されてます。
第20代城主戸田光行公と、第23代城主戸田光則公の花押が押されてます。


松本城(長野県松本市)


国宝松本城 天守が国宝に指定された5城の一つ(他には姫路城、犬山城、彦根城、松江城)

1.松本城の特徴

五棟の建物は天守を中心に北には乾小天守を渡櫓でつなぎ東には辰巳附櫓と月見櫓を付属させたいわゆる連結複合式と呼ばれる独特の構成で、その外壁は各重とも白漆喰の大壁で腰には黒漆塗りの下見板を張ってある。月見櫓は天守建築には珍しい殿舎風造りで三方に朱塗りの回縁をめぐらしてある。

2.松本城と城下町

松本城はもと深志城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。そのころすでに今の二の丸東側には市町が形成されていたが、西方一帯は沼地であった。本格的な近世城づくいが始まったのは1580年代で、城郭と城下町一体の都市計画を推進したのは、豊臣大名としてこの地に入った石川氏である。天守を建てたのは2代康長の時で1593~94年と推定される。
 3重の水堀と塁を巡らして郭の縄張りを行い、本丸と二の丸を内郭とし三の丸を外郭とした。この広さはおよそ39万㎡で、内郭には天守、御殿、蔵など城主と藩の施設を置き外郭は城主の親衛隊である上級家臣の屋敷地とした。総延長3.5キロの塁上には透き間なく土塀をかけ、前面は完全囲繞の水堀で、厳重な城門を構える虎口(枡形と馬出し)だけが場内への通路である。
 城外は南から北へ通る善光寺街道に沿って城下町を割り、その東側に寺社を配置した。城下の町筋は格子状のものより鍵の手やT字形交差が多い。居住区分は厳格で士と、町人の混住はまったくなく、士や敷地は木戸の内と外に分けて中級と軽輩の居住区とし、町人地は親町3町、枝町10町、24小路にランク付けして、身分と職業によって住まわせた。

3.松本城

この日は人も少な目でゆっくりまわれました
歴代城主の家紋が並んでます。水野氏の家紋「丸に立ちおもだか」、堀田氏の家紋「黒餅に堅もっこう」、松平氏の家紋「丸に三葉葵」、戸田氏の家紋「はなれ六つ星」、小笠原氏の家紋「三階菱」、石川氏の家紋「笹竜胆」
黒門には甲冑が展示されてます。
左から下にあるのが月見櫓、上が辰巳附櫓、大天守、渡櫓、乾小天守
天守一階の周囲1間通りは、内側の床より50cm低いので、これを入側または武者走と呼びます。戦闘の時、武士が矢玉を持ってここを走りまわるのでその名がついたといいます。
矢狭間・鉄砲狭間 松本城が天守が築造されたのは、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以前である。そのために武装強化のために、弓や鉄砲を発射する狭間の数が多いのはその現れである。小さい方形のものを鉄砲狭間、長方形のものを矢狭間と呼び、内側が広く外側が狭い。蓋のない初期的構造です。
長篠の戦の屏風絵 左側が織田信長・徳川家康連合軍、右側が武田勝頼軍 織田勢は多数の鉄砲を用い、1万5000の武田騎馬軍団を打ち破った。左側に馬防柵や鉄砲が多く描かれている。鉄砲が戦闘の勝敗を決する重要な武器となっていた。
城内には火縄銃や管打式銃が数多く展示されてます。
天守閣から望む景色です。真ん中が王ヶ頭、右端が茶臼山、左端が袴越山になります。
月見櫓の中はこんな感じです。この月見櫓は松本城主松平直政によって、一国一城令という統制の厳しい中、寛永年中に三代将軍家光を迎えるため、増築されたものである。現存する城郭建築の中で月見櫓を持つのは、松本城と岡山城だけであるが、天守と一体となっているのは、松本城だけである。
埋橋から見る松本城 城と赤の橋のコントラストが絶妙です。

4.アクセス・観覧時間・料金

アクセス:電車:JR篠ノ井線「松本駅」下車 徒歩約20分

観覧時間:8:30~17:00(最終入場は16:30まで)

観覧料金:大人700円、小中学生300円、小学生未満は無料

開場日:年末(12/29~12/31)を除き無休

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~秋葉神社へ

本日は、東京台東区松が谷の秋葉神社へお参りします。こちらの神社は秋葉原駅名の由来となった神社であります。(参拝日2019年9月11日)

秋葉神社の御朱印です。初穂料300円 拝殿向かって左側にある社務所で頂けます。

秋葉神社(東京都台東区)


東京台東区に鎮座してます秋葉神社へお参りします。社号は当初鎮火神社でした。昭和五年(1930年)に秋葉神社と改称される。

神社情報

鎮座地:東京都台東区松が谷3-10-7

創建:明治三年(1870年)

御祭神:火産霊大神(ほむすびのおおかみ)・・・火の神

    水波能売神(みづはのめのかみ)・・・水の神

    埴山比売神(はにやまひめのかみ)・・・土の神

ご利益:火災鎮護、災難除け

例大祭:5月18日

鎮火祭・火渡神事:11月6日

社務所受付時間:9時~17時


1.ご由緒

明治初年東京府内に火災が頻発し市民の難渋せる状を御憂慮せられた英照皇太后(明治天皇御母)の思召しを以て、明治天皇より太政官に御下命になり、宮城内紅葉山より鎮火三神を奉還し東京府火災鎮護の神社として現今の秋葉原の地の創建せられたのが当社の始めである。明治二十一年鉄道駅設置のため境内地を払下げ現在地に御遷宮となる、秋葉原の駅名も当社名にその因を発する。

2.秋葉神社の境内

 

存在感のある字で秋葉神社と書かれてます
手水舎で身を清めます
勇ましい顔立ちの狛犬です
江戸時代には幾度となく大火災が発生した事から、秋葉大権現(秋葉山)が火防(ひぶせ)の神として信仰を集めていたが、本来この社は秋葉大権現と関係はない。しかし、秋葉大権現が勧請されたものと勘違いした人々は、間違わないようにこの社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、社域である周辺の火除地(空地)を「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだ。 鎮火社はいつしか秋葉社となり、1888年(明治21年)日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が現在の上野駅から秋葉原駅まで延長され、秋葉の原の土地が払い下げられたのに伴って現在の場所に移転した。その後1930年(昭和5年)に秋葉神社と改名された。ちなみに秋葉権現(あきはごんげん)とは、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。
朱色の社殿が際立って見応えあります。
綺麗に管理されて清潔感がありました。
扁額も立派です
遷座百年記念の石碑
東側にある鳥居です
社務所で御朱印頂きます。
御朱印は基本2種類あります。右が通常、左が大ひさごの御朱印となります。
10月1日~14日までの限定御朱印の予告も貼ってありました。

3.参拝後の感想

社務所前で掲示板を見てたら神職の方がきさくに話しかけてくださり色々お話を聞かせて頂いて、何だか心があったかくなりました、有難うございます。

火除け地として秋の原が秋葉原になったという由来が実に興味深く感じました、改めて地名には奥深い歴史が紐づいているのと、普段自分が住んでいる地がどういう経緯でこの地名になったのか調べたくなりました。

「ひさご」について・・・御朱印にも押されてます、ひさごについて書き加えておきます。ひさごとは、ひょうたんというと解り易いでしょうか、古い書物にも荒ぶる火を鎮めるために力を頂くものとして、火の神、水の神、土の神とともに記されているものの一つが「ひさご」です。ひさごは古くから水を汲むのに用いられたものであり、昔話の中には、大火が迫ってきた時にひさごを天に向けて水を撒くしぐさをもって祈念したことで火を鎮める雨が起き類焼を免れたとする伝承も残されています。また「火避ご」が転じた言葉であるとも言われ、災いを除ける象徴と言えましょう。

4.地図・アクセス

アクセス:東京メトロ日比谷線 入谷駅 徒歩5分、東京メトロ銀座線 稲荷町駅 徒歩10分

駐車場:なし

 

 

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~甘縄神明宮へ

鎌倉にある甘縄神明宮へ御参りします。江ノ電の長谷駅から徒歩5~6分といった距離でしょうか。こちらの神社は長谷寺からも近く混雑しそうに思うのですが、長谷観音前の交差点から少し行ったところの角(鎌倉エフエム放送)を曲がると、驚くほど閑静な空気に包まれます。長谷寺の混雑ぶりとは対照的にこの落ち着いた雰囲気の方が私は好きです。(参拝日2019年6月19日)

甘縄神明宮の御朱印です。初穂料300円

甘縄神明宮(神奈川県鎌倉市)


 

鎌倉にある甘縄神明宮に御参りしました。

神社情報

鎮座地:神奈川県鎌倉市長谷1-12-1

創建:和銅三年(710年)

御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)

ご利益:厄除け、開運


1.ご由緒

和銅三年(710年)染谷太郎太夫時忠の創建です。永保元年(1081年)源義家公が社殿を再建されました。源頼朝公、政子の方、源実朝公など武家の崇敬が篤く、古来伊勢別宮と尊称されている鎌倉で最も古い神社です。社殿の裏山は神輿ヶ嶽と言い、古くから歌に詠まれています。源頼義は相模守として下向の節、当宮に祈願し、一子八幡太郎義家が生まれたと伝えられています。(甘縄神明宮略誌より)

2.甘縄神明宮の境内

神明鳥居の奥に長い階段が見えます
こちらの神社は神職の方は常駐しておりません
素朴な感じで妙に落ち着きます。 私が参拝したときは誰も居なかったです。独り占めできます。
丸石で趣のある手水舎です。
境内に鉄棒があります、その上の壁にリス?サササッツと移動してました。
階段をのぼります
行基が草創し、染谷時忠が創建した甘縄神明宮の拝殿です
左斜めから一枚
右斜めからも一枚
胸を張って堂々とした狛犬でした
立派な注連縄です。注連縄が張り巡らせていたら、その場所やものは神聖を帯びていることを意味します。
ぶなの木です
高台にあるので、由比ガ浜が見えます。近くには川端康成の邸宅があるので、小説「山の音」の舞台として描かれています。

3.参拝後の感想

境内は無人にも関わらず、管理が行き届いていて、とてもきれいでした。甘縄神明宮の略誌が置いてあったので頂いたのですが、そこに一つの和歌が書かれていました。「都にははや吹ぬらし鎌倉の神輿ヶ崎秋の初風」調べてみると宗尊親王が詠んだもので、瓊玉(けいぎょく)和歌集の一首であります。早くも社殿の裏山に秋風が吹いたという意味でしょうか(間違っていたらすみません)   こちらの神社は鎌倉市大町にある八雲神社の兼務社になります。御朱印希望の場合は八雲神社で頂けます。

4.地図・アクセス

アクセス:江ノ電長谷駅より徒歩5分

駐車場:なし

 

 

 

 

 

きままに神社を参拝して御朱印を頂きます~御霊神社へ

紫陽花で有名な御霊神社(ごりょうじんじゃ)へ参拝します。紫陽花のベストシーズンですので江ノ電は満員でした。長谷駅で降りて歩いて行きます。(参拝日2019年6月19日)

御霊神社の御朱印です。初穂料300円

御霊神社(神奈川県鎌倉市)


鎌倉にある御霊神社へ御参りします。

神社情報

鎮座地:神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9

創建:平安時代後期

御祭神:鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)

ご利益:眼病平癒、学業成就、縁結び

 


1.ご由緒

御霊とは、強く尊い祖先の御魂(みたま)の意で、創建は平安時代後期と伝えられています。

桓武天皇の末裔で、鎌倉西北部から湘南にかけて広い地域を開拓した領守鎌倉権五郎景正公を祀る。奥州後三年の役のとき、十六歳で初陣を果たした権五郎は、敵に眼を射られたその矢を抜こうともせず、そのまま矢を放って敵を倒した。味方の将が顔に足をかけて引き抜こうとすると、権五郎は下から刀で斬りつけ「矢に当たって死ぬのは本望だが、顔に足をかけられるのは武士として最大の恥辱」と怒ったため、味方の将は無礼を謝し、鄭重にひざまずいて矢を抜いたという。こうした武勇から誇りある武士として鎌倉時代には深く尊崇された。また後世には「目の神様」「ごんごろうさま」として親しまれ、江戸時代から今日まで眼病に悩む人々が大勢お参りしてきた。

2.御霊神社の境内

 

有名な御霊神社前の踏切です、この時期ガードマンが常駐しております。
御霊神社は、武勇に優れた鎌倉権五郎景正公を祀っております 
江ノ電、紫陽花、踏切の御霊神社前の風物詩です。300形です
この時期、踏切が鳴り出すと、参拝者がどっちから来るのかと騒ぎ立てる光景が後をたちません。開通95周年を記念して造られた10形、通称レトロ車両です。外観はオリエント急行を彷彿させるデザイン・塗装になっております。
よく見ると行先案内灯が紫陽花の絵になってます。1000形
御神木のたぶの木 樹齢約400年 存在感のある木です
手水舎で清めます
拝殿の周りは緑が生い茂っていました
この日は参拝者が多かったですが、普段は閑静で落ち着いております。
古色を帯びたたたずまいです
景正公が弓を立てかけたと伝わる弓立の松です
祖霊社 日清・日露・第二次世界大戦での坂ノ下地区の戦没者の英霊二十三社を祀る
景正公が手玉に取り、袂(たもと)に入れたと伝えられる。右が袂石(16貫、約60kg)で左が手玉石(28貫、約105kg) 古くから奇石は神霊を宿すと考えられています。
第六天社 神による天地開闢(てんちかいびゃく)の時に、第六代の神、面足尊(おもだるのみこと)、訶志古泥神(かしこねのかみ)を祀っております
金刀比羅社(こんぴらさん) 海上安全の守護神、讃岐の金刀比羅宮の分霊を祀る
石上神社 御霊神社の前浜にあった巨石に多くの船が座礁し、多数の人命が奪われた。海神の怒りを鎮めるため、村人は巨石を引き上げ、その上部を祀って石上神社と称しました。
御嶽社(おんたけさん) 長野県の御嶽神社の主神三神を祀る ご神徳は殖産興業
秋葉神社 火防の神、火之迦具土大神を祀る
こちらの社務所で御朱印頂きます。
3種類の御朱印を頂けます 各300円  佐助稲荷神社の御朱印は、墨書のみです(先に佐助稲荷神社で朱印を頂く必要があります)
神社前の紫陽花です。
紫陽花は色んな色があって華麗で見ててあきないですね
色とりどりで鮮やかでした
写真の1000形車両は、鉄道友の会「ブルーリボン賞」を受賞しました。
鎌倉行きの江ノ電 西日が差し込み車両が輝いてます。
藤沢行の江ノ電 2000形 大きな正面ガラスが印象的な車両です。運転席の後ろは運転士感覚を楽しめる展望席になっております。

3.参拝後の感想

さすがにこの時期メジャースポットだけあり大勢の方が参拝されてました。江ノ電・鳥居・紫陽花が有名ですが、この神社には社務所横にある、たぶの木も見応えあります、樹齢約400年、鎌倉市の天然記念物に指定されており見るものを圧倒します。前回の記事にも書きましたが、こちらで佐助稲荷神社の墨書きのみ頂けます、朱印は佐助稲荷神社(初穂料は佐助稲荷神社で払うのでもちろん御霊神社で払う必要はありません)で頂いてください。朱印だけ押されてる御朱印帳を渡せば書いてもらえます。

4.地図・アクセス

アクセス:江ノ島電鉄 長谷駅より徒歩7分

駐車場:なし