どうもMOMOCHIです。本日は伊豆へツーリングに行った様子をお伝えします。天気も良く気持ちの良い旅になりました。
1日目~横浜から出発~
洗車してきれいになった愛車で伊豆へ出発です。CBR650Rは積載性があまりないので備え付けのバッグの上にデイバッグを載せて網で固定しております。
1.走り湯
写真ではわかりづらいので動画UPしました。ボコボコと源泉が勢いよく湧き出してます。なかなかの迫力で一人ワーワー騒ぎながら楽しみました。一度来る価値ある場所ですので近くに立ち寄った際はぜひ体験してみてください。
11月なのに汗だくで次の目的地、伊豆山神社へ移動します。
2.伊豆山神社
鎮座地:静岡県熱海市伊豆山708-1
創建:孝昭天皇の時代(紀元前5世紀~紀元前4世紀)ごろと伝わりますので、かなり古いです。承和三年(836)現在地へ遷座
ご祭神:天忍穂耳尊(アメノオシホミミノコミコト)、拷幡千千姫尊(タクハタチヂヒメノミコト)、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
ご利益:縁結び、強運守護、福徳和合
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ご由緒
関八州総鎮護伊豆山神社は、かつて伊豆御宮、伊豆大権現、走湯大権現と称され、略して伊豆山、走湯山と呼び親しまれてきた、強運守護、福徳和合、縁結びの神様です。
祭祀の創まりは遥か上古に遡り、本殿に祀られる木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)は、『走湯山縁起』が応神天皇の御代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわしています。
その神威の源は、涌き出づる霊湯「走り湯」です。走湯権現とはこれを神格化した呼び名で、伊豆の国名は湯出づる神である当社の神徳に由来します。
神威を被るところは、沖合にうかぶ初島をはじめとする伊豆の島々、伊豆半島、共に二所と呼ばれた箱根や、富士山に及びます。後白河院御撰『梁塵秘抄』に「四方の霊験所」のひとつとうたわれたように、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となりました。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られています。
平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人は、鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。伊豆山から富士につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社は、威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。武家が誓いを立てる時の起請文には、誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねられています。
そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金塊和歌集』に収められています。平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する伊豆山歌会に受け継がれています。
明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と改称されてからも、伊豆大神の神威は絶ゆることなく、大正三年一月十三日には皇太子であられた昭和天皇、昭和五十五年九月十二日には皇太子浩宮徳仁親王殿下が御参拝になられました。
平成二十三年九月十九日には、新たに『走湯山秘訣絵巻』が奉納されました。関八州総鎮護伊豆山神社の歴史は、東日本大震災からの復興ひいては日本と世界の平和の歩みを支え、未来永劫に築かれていきます。(境内の掲示板より) |
3.昼食(魚がし鮨)
お腹も空いてきたので魚がし鮨 伊豆の国大仁店でお昼にします。
4.修善寺(寄り道)
5.だるま山高原展望台
6.西伊豆スカイライン
いや~こんだけ誰も通らないと自分専用道路でしたよ。
この動画辺りが1番標高の高い場所になります。これで有料道路じゃないというのがいいですね。
7.西天城高原
8.今晩の宿
9.翌日朝
10.黄金崎(馬ロック)
11.堂ヶ島マリン(洞窟巡り)
舟から見る三四郎島 見る角度で3つにも4つにも島が見えることからこの名が付いたみたいです。この時期は潮位が高くトンボロは見えませんでした。
絶壁続きで見応えあります。
波しぶきをあげながら、こちらの洞窟を舟で入っていきます。
こんな狭い洞窟内を舟で入っていくわけですから相当熟練な運転が要求されます。
天窓洞 洞窟内に天井から光を降り注ぐ光景は神秘的で感動しました。
船上から上を見上げると晴れ晴れとした景色が現れます。
自然の光が海面に反射して青く見えるから青の洞窟と呼ばれるのだと思います。老若男女問わず楽しめると思いますので遊覧船はおすすめですよ。
12.土肥金山
侍姿の門番人形が「いらっしゃいませ ようこそ土肥金山へ」といきなり喋りだしびっくりしましたよ。
坑内入口
中はきれいに整備されて展示物も見やすかったです。
坑内は結構天井が低い場所もあるので気をつけながら進んで行きます。
鉱山トンネルから出ると目の前に資料館があります。
資料館の中は様々な物が展示してあって面白いです。
千両箱がどれだけ重いのか体験出来ます。重量は22kg ずっしり重かった~
12.5kgの金塊
250kgの巨大金塊が展示していて実際に小さな窓に手を入れて触ることが出来ます。
この日の価格は22億1,100万円でした。ギネスブックにも認定されてるみたいですね。すぐ近くに警備員の方が常時見守っております。
駐車場に戻ってくると来た時は2台しか止まってなかったのですが、ずらっとライダーさんのバイクがありました。何か落ち着きます。このあと安全運転で岐路に着きました。最後まで読んで頂きありがとうございます。